2022/09/22
尺代の水車小屋
2022/09/21
早苗の卵どんぶり
早苗の卵どんぶり
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父方の祖母は早苗(さなえ)という人で、広島の呉生まれ。すでに鬼籍に入っている。朧気な記憶だが祖母は料理をほとんどしない人だった。
代わりに祖父の喜八が何でも作るタイプの人。小学5,6年生のころ母が病気療養のため長期入院しており、自営業の父も多忙を極めたため僕は長いこと祖父母宅で暮らしていた。昼食夕食は、いつもおじいちゃんの手料理。
祖母は生活にお金をかけない人だった。清貧というよりはむしろ、足るを知っていたのだ。妹が小学生のころ、戦中戦後の生活について祖母にインタビューして学校に提出したことがある。そのなかで祖母はこう語っていた。
「今の人は、何でもあるから幸せです」
祖母は常日頃から昼ごはんにサッポロ塩ラーメンなどを食べていて、「おばあちゃんは、これが楽しみなんよ」とよく僕に言っていた。戦争を、血生臭さではなく経済的困窮として味わった人の言葉として、とても深みがあると思う。祖母は原子爆弾の雲を遠くに見たと言っていた。
そんな祖母には得意料理があり、それは卵どんぶりだった。使う材料はたったの5つで、卵、もみ海苔、米、油、醤油。飽食の時代と言えど、他に何も使ってはならない。
どんぶりに薄く米をよそい、そこにもみ海苔を敷き詰める。そして醤油を全面にたらして、再び米をよそう。そうしたら、フライパンに油をひき、醤油で味付けした溶き卵をやわらかく炒る。それを米が見えなくなるくらいに盛り付けたら出来上がり。
ほとんど料理をしない祖母だったが、誰にでも作れそうな卵どんぶりの美味しさは格別だった。祖父母は僕の実家のすぐ近くに住んでいたので、時々どんぶりを持ってきてくれた。
やがてこの作り方を僕の母が教わって、たまに母が作るようになったので、土日の食卓によく登場した。僕はこれがとても好きだった。
就職して京都市で暮らし始め、祖母が亡くなってからも時々このどんぶりを思い出して作った。もちろん祖母より下手だった。
さらに時が流れ、僕の7歳の娘は最近料理に関心がある。それでは材料も手数も少ない卵どんぶりを作ろうということで、先日一緒になって作った。すると、かなりおいしいどんぶりになった。食の細い息子も、ものすごい速さで完食。
それで僕は思った。ああこれは気持ちだ。この美味しさは気持ち。手数のほとんどない素朴などんぶりは、作った人間の気持ちが丸裸のまま、よそわれているのだ。だからおばあちゃんのあれは最高に美味しかったのだ。おばあちゃんは僕たち親族のことを本当に愛してくれていた。僕は愛をもらっていたのだった。生まれたときから、溺愛というくらい、これでもかと祖父母に可愛がってもらった。そしていま、僕は娘の愛をもらっており、だからどんぶりがおいしい。子どもたちがお茶を淹れてくれたら冗談ぬきでおいしいのと同じなのだ。
娘が作ってやっとわかった、早苗の卵どんぶりのおいしさの秘密。もっとも、みんな肌感覚では何となく分かっていたのかもしれない。祖母は優しかったから。
思い出すのは祖母の顔と声だ。大学生当時、地元公民館の自習室で勉強していたら、たまたま館内に居た祖母がドアを開け、でっかい声で「ともりん!!」と僕を呼んだ。僕はトモアキだから、祖母は愛情こめて僕をトモリンと呼ぶことがあった。
苦笑いで外に出て祖母と話をした。祖母は地域の年配の方々との月に一度の昼食会に来ていたのだ。「これでジュース飲み」といって、500円玉を僕の手にのせた。
トモリンといきなり呼ばれた恥ずかしさ。あの500円玉の重たさ。忘れがたい。
祖母は僕と妻の結婚式の1週間前に亡くなってしまった。式を楽しみにしていた祖母の気持ちに沿うのがよいと親族も言ってくれ、喪中にもかかわらず地元の神社は予定通りに式を執り行ってくれた。
ぐるぐる巡る愛の環、口承伝達の卵どんぶりにのって、どこまでも続くのだろうか。サナエのこともトモリンのことも知らないずっと先の世代になっても、早苗の卵どんぶりが継がれていてほしい。
あの世でおばあちゃんがこの記事を見ててくれたらいいのになと思う。
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