2020/07/06

満田製茶 12日目7月6日 / 危なっかしい

また1週間がはじまった。

朝ごはんは、ご飯、みそ汁、梅干し、日野菜の漬物、トマト、バナナ、ヨーグルト、お茶。

僕の家には3年くらい前からテレビがない。でも1人で出張するときなどは、何となく点けてみる。話す相手がいないのでラジオがわりだ。ごちゃごちゃ言う番組ではなく、当たり障りないものを点けておく。

九州の豪雨被害の報せが聞こえる。取引先も被害を受けている。心配だが、日野にいる僕にできることは、茶と向き合うことだ。それが最善のことだと信じている。

出勤すると、久樹さんがもう動ける格好になっていた。いつもの、ほんのちょっとだけ前のめりの歩き方でいそいそと何やら準備している。

「今日はまず、冷蔵庫からトラックに50本ほど茶ぁを積みます」

週明けからいきなり体をしっかり使う作業だ。ひとつ30kgほどある茶の袋を、フォークリフトを活用しつつ、トラックの荷台にどんどん動かしていく。これらは明日、満田製茶のお客さんのところへ届けられるのだ。

腰と膝を意識して、疲れにくい作業方法を探る。久樹さんの動き方も横目で見る。盗む。

久樹さんの仕事ぶりを通じ、問屋が生産者と小売業者の間に入ることの積極的な意味を学んでいる。まず問屋があることで、相場が闇雲に変動することを防ぎ、流通価格の安定に貢献している。(生産者が小売事業者と直接取引をすることには、リスクもあるのだ)

それから問屋は目利きだ。彼等が出そろう入札会場で、問屋同士のせめぎ合いを経て、品質に応じた価格が提示される。一度の購入量は小売店の比にならない場合も多いと思われるため、このことは生産者が安心して茶をつくるモチベーションにもなり、またプロの集団の目に晒されるというストレスがあることで、馴れ合いではなく品質本位の取引を自然と促す役割があるだろう。

僕は「生産者から直接、少量を買う」という真逆の手法をとっている。というか、そうせざるを得ないから、その良さを磨き上げようと苦心している。

そうは言っても、満田製茶の茶の取り扱い量には舌を巻くばかりだ。注目すべきは、満田製茶はまだ新しい会社であるということだ。久樹さんのおじいさんが、戦後になってから始めた商売であって、滋賀県内の業者が掲げている古い看板はここには無い。

新参としての度重なる営業努力を感じざるを得ない。

昼休み、電話が鳴った。東近江警察署からだった。思い当たることはひとつしかない。木曜日に紛失したアパートのカードキーだ。

果たしてそのとおり、鍵はどなたかが日野町内で拾って、交番に届けてくれたのだ!久樹さんにそのことを伝え、急遽予定を変更して、昼からは東近江警察署を訪ねることになった。

近江鉄道の日野駅から八日市駅へ。乗客の数は本当に少ない。八日市駅からしばらく歩いて、警察署に入る。遺失物の担当窓口で免許証を提示して、もう決して戻らぬと思い込んでいた鍵と再会した。

「きみがどこかに行ってしまったことで、塩むすび運転士や、祖母の同級生に出会うことができたよ」と心の中で語りかける。(前記事参照)

いずれにしても、鍵を拾ってくれた方には本当に心からお礼を言いたい。

「えっ、もう帰ってきたん。早いな!」と、煎茶の選別作業を進める久樹さんが笑う。この人と仕事をしていると楽しい。

煎茶の選別作業をしばらく一緒に進めたのち、今日は僕と久樹さんを訪ねてお客さまがあった。2年くらい前に出店先で出会った、日野に暮らすEさんだ。彼女は日野に移住して、密接に農業とかかわる暮らしをしている。

日野ならではの田舎事情や、選挙のこと、有機農業のことなど話が次から次へと移り、気がついたら18時半くらいになっていた。日野を舞台に活躍するふたりの会話はすこし羨ましくもあった。人間くさい話、すごくいい。

「岡村さんは、どうして満田さんのところで滞在することになったのですか」とEさんが尋ねてくれた。僕は彼のことを知り、最初に連絡した5年前のある日のことから話をした。

「…という訳で、ここでしばらく世話になることになりました。ここのお茶はおいしいんです。30年も無農薬やってるのに、言うほどアピールもせず地味にやってる。そういうところに惹かれて。無農薬有機栽培で在来種といっても必ずおいしい訳ではない。こういう生産者のことをもっと都会の人に知ってほしくて」

久樹さんが言った。

「岡村くんが来るんで、除草剤、まけへんようになってしもたわ。あはは。僕は、自分の茶がいちばんうまいとは思ってません。もっとええ茶をつくる人はいくらでもいてる。そやけどウチの茶はやっぱり飲み慣れてるし、飲みやすいから好き。それにしても岡村くん、危なっかしいでね。仕事辞めてお茶屋になるっていうんで、それはやめとけといって止めたけんど、ほんまに辞めやった。ちょっと頑固なところがあるから、危なっかしくて、お茶のことをいろいろ見てほしかったのと、それから何かと人手も足りんから、来てもらってます。」

もはやお父さんが息子に言いそうなセリフだ。

「岡村くんね、いい感性で茶をみるねん。それに、一緒に仕事してると楽しいです。頑固やから」

照れる。嬉しい。来てよかった。そんなことを言ってくれるなんて。Eさんが引き出してくれたのだ。

Eさんが帰った後、久樹さんはそそくさと工場に戻って片付けを始めた。

「なんかやり残したことありませんか」

「ああ今日はもうええよ。あがってあがって」

久樹さんは照れ隠しをしているように見えたが、それはたぶん僕がそう思っているだけだ。

帰り道、地元の小さな商店である「八百助」さんで魚を買う。近くの大型スーパーとは違って、とても新鮮で味の良い魚を置いている。

今日はしめ鯖を買って帰った。大雨でびしょびしょになりながらも帰宅して、雨で冷えた体をあつあつの風呂で温めた。

一歩ずつ日野の町の人たちと距離を縮めていく。

食後、八日市で買い求めたあるお茶屋に並ぶ新茶を淹れた。おいしい。

油断すると茶のことばっかり考えている。

2020/07/05

満田製茶 中休み / ほしがきれいになりますように

木曜日昼に仕事を切り上げて、いったん地元である大阪の島本町へ戻った。

しかし改札を出て荷物を整理していると、顔の青ざめる事態に気がつく。日野のアパートの鍵がない。

どこをどう探してもない。青を通り越して白い顔になり、近江鉄道バス、近江鉄道、夕食を食べたラーメン屋、JR、滋賀県警とあらゆるところに問い合わせるも努力虚しく、ない。

家に帰着したのは午後9時。万が一にもアパートに差しっぱなしということがあればいけないと思い、そして満田さんに「見に行ってほしい」とも言えず、(アパートからバス停への歩いた路上も確認したかった)僕は車に乗って夕方に出たばかりの日野へ舞い戻ることになった。なんということだ。本当に、なんということだ。

「シャワーだけ浴びていくわ…」と言い、呆れ返る妻と、状況の飲み込めない子どもたちを尻目にする。だらしのない父親であることをとくと見せつけ、車に乗る。こういうところのツメの甘さがいつまで経っても直らない。

京滋バイパスと名神高速道路を通って、蒲生スマートICで降りて日野のアパートへ向かった。やけっぱちになり、中村佳穂さんのCDを大きな音量で流したが、このときばかりは彼女の歌声も気持ちの焦りを止めることができなかった。

鍵は無かった。アパートからバス停への道にも落ちていなかった。念のため日野駅へも行ってみると、終電を送り出した駅員さんが駅舎を出て一服している。彼は終業後にもかかわらず、丁寧に探して社内での問い合わせをしてくれたが、だめだった。

「申し訳ありません」といってペコペコされるたびに、むしろこちらがズキズキとしてくる。

塩むすびが人間になったかのような純朴なたたずまいの駅員さん。一瞬だけ癒された。昭和のハートフルな人間ドラマから平成を飛び越してきたような、信じられないくらいの塩むすび感だった。

交通費がもったいなく、帰りはトボトボと下道を行くことにした。眠気がしんぼうたまらなくなり、信楽のコンビニで仮眠をとる。午前1時。こんな時間に、おっちゃん2人が何やら大きな声で話している。コーヒーで眠気が飛ぶどころか胸がむかむかした。

最初に日野に来たときカブで通った道を帰る。深夜だけに車はほとんどない。信楽の陶器屋の店頭にあるばかでかい狸の置物や、朝宮の闇に沈む茶畑が、恐ろしかった。天ヶ瀬ダムは青いLEDライトで照らされていた。

午前2時すぎ。家に帰るとそのままふらふらと布団に潜り込む。妻の首筋に顔を押しつけて心の安息を求めたり、子どもの寝顔をしげしげと眺める余裕もなく、眠りに落ちた。なんという一日だと思い返す暇もなかった。とにかく疲れた。

翌日、気を取り直して娘の幼稚園の参観に行く。コロナのあおりで、保護者は1名だけ参加を許された。参加者のうち父親は僕ともう1人だけ。どうしてそんなに少ないのだろうと残念な気持ちになる。

七夕の短冊づくりをする。願いごとを書いてくださいと言われ、娘に聞いた。

「どうする?お願いごとでもいいし、ありがとうと思っていることでもいいんやで」

娘の答えはこうだった。

「ほしがきれいになりますように」

雷に打たれるような思いがする。感動に打ち震えている間に娘はどうにか平仮名でそれを短冊に書き、続けて星と月、そして太陽をも短冊に描き込んだ。

「なんで夜空にお日様があるの?」

「あのねえ、いつもわたしのこと見てくれてるから描いた」

2度目の落雷が体を貫き、僕は「君には教えることなど何もない」と思った。ただ、衣食住の安心だけを保証してやるだけだ。

やはり帰ってきてよかった。

交通機関各所への問い合わせを再びするも、だめだ。鍵がないことを伝えるために満田さんに連絡をするとお母さんが出た。詫びに詫びを重ねた。スペアキーを用意してもらうことになった。

意気消沈しつつ、家で借りている山手の畑の草刈りをする。体を動かしているほうが楽だった。

そのまま金曜と土曜を家族と過ごし、ゆっくりとした時間を味わう。ところが、ちょっと休めばたちどころに疲労がじわじわと体の内から出てきてたまらなかった。よほど疲れていたのだと思う。気がつかないうちに精神の疲労を溜めていたのだと気づく。

少し畳の上に腰掛けると、重力に勝てない。お尻から根っこが生え、畳の謎の引力に吸い寄せられて何度も居眠りをした。

それでも、再び日野に行くのはやはり楽しみだった。

そして今日日曜の午後、家で昼食を摂ってから日野へ出発。妻が、畑で貰ったというゴーヤを使ったチャンプルーを持たせてくれた。妻のことはいつかきちんと書こうと思うけれど、この人以上に僕のことを大目にみてくれる人はいないだろうと思う。

近江八幡駅で降り、鍵があたりに落ちていないか、先日通ったところを隈なく探す。やはりないので、その場で滋賀県警に紛失の届け出を出した。望みは薄いがやれることをやっておく。

近江鉄道に乗り換えて、八日市を経由して日野駅へ降り立った。もう見知らぬ土地ではなく、ぼくの故郷のひとつだ。

ところで、降りるとき、車内アナウンスにどこか聞き覚えがあった。ふと運転席を見遣りながら降りると、なんとそれは塩むすび氏ではないか!同氏は運転士だったのだ。

あのときの鍵なくし男が横を通っているとも知らず、彼は今日も働いていた。なんだかとても嬉しく、僕はうきうきした気分になった。

氏の操るガタガタの列車は、次の駅へと進んでいった。

さてスペアキーを貰うために、アパートではなく満田製茶へ行かなければならない。このあたりはバスの本数が少ないので、駅にあった観光案内所を物色する。すると、バスの時刻や停留所のことを詳しく案内してくれるおっちゃんがいた。ガイドのチョッキを着ているが、その下はヨレヨレの普段着なのが好きだ。

何となくおじさんと話を続ける。

「ぼくのおばあちゃんが、日野の人なんですよ」

「へえ、そうですか」

「川原っていう集落があるでしょ。そこの」

「桜のとこやね」

「はい。◯島っていう家なんですけどね」

「え、◯島??」

「はい。昔は大所帯でしたけど、今は◯◯さんと◯◯さんのご夫妻がいるだけです」

「あんた、◯島って、さっちゃんとこか??」

「えっ、知ってはんのですか???」

「同級生や。さっちゃん、前の同級会にも来てくれたんや」

「まじか…まじか…あの、おっちゃんのお名前は??」

するとおっちゃんは名刺を渡してくれた。ときどき観光協会に来ている地元のボランティアガイドだった。

「あんた、さっちゃんの息子か?」

「ちゃいます。孫ですよ」

「そうかいな…さっちゃんな、若いときべっぴんやったんやで」

「昔の写真見たら、確かにかわいい」

こんな出会いがあるものなのだ。鍵を無くしたおかげだ。

おっちゃん、記念に握手して!と手を出すと、おっちゃん快く応じて、たいへん力強く握り返してくれた。きっとこの人は農業をしてきたのだろうと思う手だった。

「不幸中の幸いとよく言うが、これは不幸中の幸いが不幸よりも大きくなる極めてまれなケースや。これは幸いなことや…」としみじみ感じ入りつつ満田家へ向かった。

ジーンズ姿の久樹さん、「岡村くんでもこんなことあるんやな」といってスペアを渡してくれた。「いえ、こんなことばっかりです。僕は。妻がようく知ってます」

久樹さんはアパートまで送ってくれた。そうして別れ、ぼくはすぐさま起こったことを説明するために祖母に電話をかけた。

「もしもし。どや日野は。しんどいやろ」祖母は言った。僕が日野にいることはあらかじめ話していたのだ。

「しんどいけど楽しいよ。なあおばあちゃん、◯◯さんっておっちゃん知ってるか」

「そりゃ知ってるよ」

「その人に会うてん。日野駅で」

そしていきさつを話すと、祖母はぼくの思ったほど驚きもないといった様子で「ふうん…」と話をした。だがよく聞いてみれば、僕とおっちゃんには血の繋がりこそないものの、遠戚であることがわかった。狭い田舎だからそんなことは珍しくもないのだろうか。

「おっちゃんが『若いときべっぴんやったと言うてたで』」と言ってみれば、祖母は「へへへ…そんな…」と言い、なんとなく赤ら顔になっているのが電話越しにわかった。おいおい、あんたら若いときになんかあったんか?と一瞬思ったが、何も聞かなかった。

こうして日野の夕焼けも暮れる。鍵をなくしたおかげで、胸のぽっとするような出会いがあった。

妻のゴーヤチャンプルーを食べた。ものすごく寂しい気持ちがした。

明日から、日野での生活は後半となる。2週間のうちに、どこまで多くを吸収できるだろうか。


2020/07/01

満田製茶 10日目 7月1日 / 盗み

早いもので、日野での生活は10日目になった。

仕事からあがってアパートへ向かうときの風が爽やかだ。単に汗が乾くからではなく、茶の世界のうち今まで見えていなかった部分を無数に目撃しているからだと思う。二足歩行を覚えた子どもの目線のように、住んでいる世界は同じでも見渡せる広さがずいぶんと違って感じられる。

今日の仕事

・委託加工 緑茶柳仕立て

・自社販売 煎茶の再製加工

・仕入れた茶の冷蔵倉庫移送

・滋賀県茶業試験場を訪問

柳仕立ての「柳」とは、煎茶製造のうちいくつかの工程をわざと省いたもの。茶葉サイズ別の選別や切断加工を最小限にし、火入れ乾燥をする。比較的安価で販売されていることが多いものの、決して侮れない。値段と、味の良し悪しは必ずしも連動していない。

実は僕が販売させてもらっている「日野荒茶」も、柳仕立てのお茶だ。彼が自園で育てている在来種を、必要最低限の加工だけして送ってもらっている。どうして手数の多い煎茶にしてもらわないのかというと、柳のほうがおいしいと僕は思っているからだ。市場価値としては柳だと低く見積もられてしまうが、内質は必ずしもそうとは限らない。さんざん試して達した結論だから、満田さんの茶に関しては、自負がある。

それから煎茶の再製加工。再製とは、荒茶まで製造の終わっている茶を、仕上げていく様々な工程のことをいう。形状選別、切断、火入れ、唐箕、色彩選別、合組…。いろいろある。

僕はこれらについてテキストでは習った。そしてそれをもとに日本茶インストラクターの資格も取得した。だけれども、ここ満田製茶で久樹さんの指示のもと一緒に進めていく各工程は、完全に真新しい体験だ。工程を彩る技術を目の当たりにすることが出来るし、茶師としての彼の経験則や感性を、真横で話を聞きながら教えてもらえるのだから。これ以上の学校が、今の僕にとってあるだろうか。

「工場での仕事の半分は、掃除やで」と彼は言って、ブロワー、掃除機、ほうき、ちりとりで何度も床を掃き清める。テキストに載っていないことに費やす時間がものすごく多い。

頭も使うけれど、体で覚えていく。その感覚は、ふだん頭でっかちなことばかり考える自分にとって有難い。

「やっぱり体は動かして、しっかり働かなあかんねん。働かざるもの食うべからずやねん」と彼が言えば、やけに説得力があり反論の余地もない。(もちろん彼は、どんな嫌なことであっても食いしばって盲目的に頑張れと言っているのではない)

それから冷蔵倉庫にたくさんのお茶を移送して体を動かす。細身の自分ではあっても、体のどこをどう使えば少しでも楽にできるかを、久樹さんの動き方を見ながらひたすらに盗もうとするばかりだ。少しずつ分業のできる場面も出てきて、うれしい。

あまりにもやることが多いので、彼もすべてを細かく教えてくれるわけではない。だからそこは見て勝手に真似ている。

盗むのは楽しい。それで彼が何も言わなければ、まあそれでええよ、と言ってくれているのと同じだからだ。

今日は滋賀県の茶業試験場を途中で訪ねることもできた。試験場というのは栽培と製造についてトライアンドエラーを繰り返し、実地に反映させることのできる技術を開発している公的機関だ。品種改良や農薬の効力検査などもこうした場所で行っている。

久樹さんは、「民」で働く存在として、「官」の相手に対して思うところを言葉を選びつつしっかり伝えていた。

「昔はな、僕は言われっぱなしやってん。そやけどあるときから気にならんようになってきて、だんだんものを言うようになった。やましいことなんかないんやもん。それやったら、どう思われたってええやろ?」

今日も加工場で何度も「どれがええ茶やと思う」と聞かれた。最初びびって答えていたが、だんだんと楽しくなってくる。

そして分かってきたのだけれど、久樹さんはとても優しい茶の見方をしている。甘く鑑定しているのではなくて、その茶のいいところを見極めて、どうすれば活用できるかを考えている。

ある茶の火入れと選別が終わって仕上がったものを見て、彼はそれを見せに来た。「これ、◯◯さんの。最初どうかなと思ったけんど、こうして見てみると、なかなか男らしい茶やと思わん?」

それからも「乙なもんや。なかなか男らしい」とぶつぶつ言っている。「乙な、男らしい茶」って、どんなだと思いますか?おもしろいでしょう。

明日もひと働きしたら、いったん地元に帰る。娘の幼稚園の参観があるからだ。

しばらくぶりに家族に会える。全員抱きしめる。