2021/09/30

毎日飲めるお茶は限られる / 岩永智子さん ( 熊本県 山都町 馬見原 )

 


この記事では、主に釜炒り緑茶を当店に預けてくださっている岩永智子(いわなが さとこ)さんのことをご紹介します。

(2020年12月ごろ、前ブログに投稿した記事を再編して公開するものです)


岩永さんと出会ったのは偶然の出来事でした。2019年の春に対馬の大石さんを訪問した際、同じタイミングで大石家の紅茶づくりを見に来ておられたのです。そのまま意気投合し、翌週になって馬見原へ。心温かくお母様とともに迎え入れてくださり、たっぷりとそのお茶づくりについてお話を伺うことが出来ました。それ以来ご縁が続き、京都の mumokuteki でお茶の販売会を開催していただいたことも。

岩永さんが暮らすのは、熊本県上益城郡山都町の馬見原(まみはら)というかつての宿場町です。山都町は、蘇陽町・清和村・矢部町が平成になってから合併して出来た町。なかでも馬見原は山深い場所にありながら古くから宿場町として栄え、「一旗上げるなら馬見原へ」と言われた時代もあったとか。現在でも人影は多くないながらも立派な石畳の商店街が健在であり、かつて何軒もの造り酒屋が営業していたという名残も見ることができます。

岩永家があるのは、この馬見原の目抜き通りの中。その裏手には宮崎県との県境でもある五ヶ瀬川が流れ、これに沿うようにして在来種を含む複数品種の育成を行っています。

茶業を商業的に発展させたのは、智子さんの父である博さん(故人)。その博さんのおばあさんの里が馬見原なのです。お父さんは熊本市内でラジオ屋を営んでいましたが、戦時の疎開先として馬見原へ。博士さんは人生のほとんどをここで生活することになりました。

博さんは大学で畜産を学びましたが、馬見原の家にはもともとお茶が植えられていたこともあり、徐々にこれを拡大して稼業となしたのです。そのお茶づくりは釜炒り製でした。(この地域は国産釜炒り茶のひとつの中心地でした)

はじめは農協に卸していた茶葉も、徐々に小売販売へウェイトを移します。今でも岩永家を訪ねれば、全国のファンに向けた荷物が玄関先に置いてあるのを見ることができます。着実にファンを増やした岩永製茶園のお茶は、昭和46年に農林水産大臣賞を受賞するほどまでに。

智子さんのお母さんである周子(かねこ)さんは、蒸し製煎茶への転換を博さんに提案したことがあるといいます。煎茶のほうが生産効率が高く、またクルクルと曲がった形状の釜炒り茶とは違って、煎茶はピンと伸びた茶葉がきれいに揃って見えたからです。

しかし博さんは、「絶対に、せん」といって頑なに釜炒り製をやめようとしませんでした。彼が釜炒りに対して抱いていた思いとは、どのようなものなのでしょうか。故人に直接思いを尋ねることは叶わないまでも、博さんと同世代である生産者・船本繁男さんが同県の八代市泉町に健在。彼は煎茶を生産していたのに、途中から地域にもともとあった釜炒り茶にわざわざ転向しました。2021年に惜しまれつつ静かに操業を終えるまで、船本家は誇りを持って釜炒り茶のみを作りました。

彼らにとって生産性は問題ではなく、釜炒り茶は自らの暮らす土地と紐付けられたアイデンティティそのものだったのではないでしょうか。岩永さんがお茶をつくる共同製茶工場* でも、製造ラインの半分は煎茶に転換しつつも、釜炒りを現在でもやめていません。

* 菅尾(すげお)共同製茶工場。現工場長は小﨑孝一さんで、当店でも販売する「倉津和釜炒り茶」の生産者でもあります。

このように、土地と自らの切っても切れない関係性を強く意識し、そのお茶を守ろうとする生産者は各地に存在します。もちろん、釜炒り茶に限ったことではなく、たとえば滋賀県東近江市君ヶ畑の小椋武さんは「祖父から預かったこの畑と土地の名を次に託すのが、自分の役目です」と語ります。



自宅裏の茶畑では、美しい小径を挟んで左に在来種が、そして右に品種茶が植わっています。品種茶のなかには、博さんが在来種のなかから選別して殖やしたここだけのお茶「岩永1号」があり、紅茶にすると素晴らしい香気を生みます。

さて現在、博さん亡きあと故郷に戻って畑の管理を担う智子さん。お母様はすでに高齢なので、日々の畑の管理は智子さんが担当し、繁忙期になれば地域の人々の協力を得ながらなんとか継続しておられます。幼少から博さんの作業風景を間近で見て、ときに手伝うこともありました。そんな智子さんがお茶を語る際には必ずといっていいほどに博さんの言葉や面影が登場し、智子さんのお茶に対する感性のなかに生き生きと博さんの姿があるのを誰も見過しはしないでしょう。

とりわけ仕上げの火入れをするときの芳しい香りについて智子さんが話すとき、お父さんとの鮮明な思い出に包まれながらひとつひとつの言葉を編む様子は、この家の茶業の歴史がぎゅっと詰まった結晶そのものです。

その様子を周子さんは喜ばしく見ています。博さんが亡くなり、もう茶業はおしまいだろうと思っていたところに智子さんが帰郷。周子さんはコタツで温もりながら、こう語ってくれました。

「私はもともとお茶が好きでここに嫁いできた訳ではなかったんですけれど、段々とお茶が可愛くなってきました。この歳になって、一番の楽しみは茶畑に行くことで、可愛がればお茶は応えてくれます。藁や枯れ草を敷いたりしてね…。そのへんを散歩する暇があったら、畑の草の1本を取りにいきたいですよ。智子も、そういう風になってきたんでしょうか。智子が一所懸命お茶をするので、彼女がし易いようにしてあげたいと思います。紅茶づくりも応援しています」

智子さんはご自身が実家の茶業に携わるようになってから新たに紅茶づくりもはじめ、近年は毎年連続して国産紅茶のコンテストで入賞を繰り返している実力派なのです。もちろん茶業に楽なことなど何一つなく、栽培、製茶、販売に広報…問題は山積みで、智子さんも日々あらゆることに頭を悩ませつつ、それでも思い出の詰まった茶畑を今日も守っておられます。



当店では、智子さんの「岡村くんには、ぜひ緑茶の紹介をがんばってほしい」という言葉をきっちり受け止めて、「川鶴」をお預かりしています。川鶴はご自宅の裏の古い字名だそうで、岩永家のお茶のなかでも、若くて重たい芽だけを選別した特上のロットにだけ与えられてきました。なかでも、岩永家に古くから伝わっている在来種だけを原料にした特別な「在来川鶴」をオーダーし、数キロだけ託して頂いています。在来種でつくってこそ、岩永家の釜炒り茶はいっそう魅力を増すように思うからです。

菅尾共同製茶工場で荒茶までをつくり、仕上げ加工は智子さんの自宅の工場で。在来種の深みはあるけれど控えめな出で立ちが、釜炒りならではの凛とした「釜香」を引き立てて何煎も楽しませてくれます。さらに雑味がなく飲み疲れがありません。ともすると行き過ぎた香ばしさをつけて原料の素直さを曲げてしまう釜炒り工程ですが、ここでは智子さんや、地域の熟練の技術者たちの腕前がぞんぶんに発揮されています。

「色々なお茶があり目移りするけれども、毎日飲めるお茶は限られてきます」と智子さんが言うのも、このようにすっきりと香りのよいお茶を一口飲めば頷けます。この地域の古老たちも、地元の釜炒り茶を「胸ん中の、すかっとするごたる茶」とかつて評しました。この川鶴も、まさしくそのような爽快感を誇っています。



在来のお茶をおいしいという私に、智子さんは「お父さんに会ってもらいたかった」とこぼしたことがありました。たしかに博さんはそこにはいません。でも馬見原の工場を訪ねれば、どこを見渡しても博さんの残した足跡を見つけることができます。

何よりも智子さんという人を訪ね、その人となりとお茶への姿勢を見つめる人は、目には見えなくてもそこに親子の重なりが静かに輝く様子を心を通じて発見するでしょう。そのことを思いながら淹れる「川鶴」は、もはや「おいしいか否か」という嗜好品の域をゆうに越えています。

心と心をなめらかに通わせるそのお茶が、いままさに自分の目の前にあること。縁あってこそ身の回りのあらゆる物事が成り立ち生きておられることを改めて思います。


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川鶴釜炒り茶

岩永智子 作 / 熊本県 山都町 馬見原

釜炒り製緑茶 在来種 無農薬

¥980 / 40g

オンラインストア

https://chaokamura.base.shop/items/33385696

2021/09/13

ひとつひとつのことに意味がある / 満田久樹さん / 滋賀県 日野町 西大路

 


生産者の話

満田久樹さん(滋賀県 日野町 西大路)

すでにおなじみの方もたくさんいらっしゃいますが、開店以来、新たに当店のことを知ってくださった方々にむけて満田さんのことをご紹介します。

彼から当店に預けてもらっているお茶は21年の夏現在で5種類あり、「日野荒茶」「日野焙じ茶」「煎茶ティーバッグ」「粉末緑茶」「粉末焙じ茶」です。特に「荒茶」「焙じ茶」は、看板商品としてラインナップ中で最も多い量を扱っています。

※この記事は、2020年8月に作成した生産者紹介リーフレットの文章をアップデートしたものです。

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満田久樹(みつだひさき)さん。彼のことを飯田辰彦氏の著書「日本茶の発生」で知ることがなかったら、当店の日本茶ラインナップのベースとなる考え方は生まれませんでした。

彼が三代目社長である満田製茶は、初代が営んでいた陶器販売業が前身です。時流を読み、すでに培っていた商いのノウハウをもとにしていたとはいえ、まさに畑違いである茶業へと家業を転換しました。牛に土を耕させ、その後ろから茶の種を蒔くところから始まりました。今日も現役である父の武久さん(二代目)は、小学生のときにその光景を見たと回想します。

満田製茶は自園自製の茶農家としてのみならず、製茶問屋としての顔もあります。他の生産者のお茶を仕入れて販売したり、お茶の仕上げ加工を請け負って生産者や小売店に返したり。栽培、製造、流通、販売のどの段階にも携わっているから、畑から湯呑みの一杯までを熟知しています。

素朴な昔ながらのお茶が好きと語る久樹さんは、市場で評価されるお茶とは異なるお茶を作り続けています。例えばその煎茶は色味が暗く、細かく針のようには揉んでいないから大ぶりで、繊細な見た目とは言えません。派手な味わいはしませんが滋味深く、そしてスイスイと飲めるのが何よりの特徴です。これこそ日々生活に添う常茶(じょうちゃ)といえるでしょう。緑茶がだめだという子どもたちのなかに、満田家のお茶ならばおいしいといってよく飲んでくれる子が今までに何人もいました。これ以上の評価はありません。



久樹さんのつくる茶には流行への傾倒がなく、一筋に自分がよいと思うものを追い続けています。その一方で世間では、最新情報が一秒ごとに更新されて常に新しいこと、変化することがあたりまえです。ちょっと疲れるなと感じる場面も多々。だから、久樹さんがいまお茶と向き合う姿勢とそのお茶の実直さは、私達にとって立ち止まることの大切さや、たやすく変わろうとしない生き方の稀有なことを静かに伝えようとしています。



お茶は人を表すと久樹さんは言います。「茶ぁを見たら、『ああ、こういう人なんやろな』て、ほんまによう分かるようになってきたな」。

久樹さんが数年の会社勤めを経てから実家に戻り、三代目として働くようになってから間もなく三〇年。周囲に迷惑をかけたくないという思いから農薬を使わず、さらにコストの余計にかかる有機肥料だけを使って茶畑を守ってきました。それはいかに聞こえがよくても、専ら草を引き続けるという地道な労働の連続でした。当初は無農薬栽培に関心を抱く人は多くなく、近年になってからようやく価値を見出す人と出会うようになったと久樹さんは語ります。それまでは「自分がそれを飲みたいから」という気持ちを頼りに、顧みられない農作業に明け暮れてきたのです。「無農薬なんか、やるもんやないねん。人にはすすめられへん」という彼の言葉は聴き逃がせない重みをもって迫ります。(近年では過去に発生しなかった種類の草も茶園に増え始めており、非常に難儀しながら作業にあたっておられます)

自園のお茶は、多くが品種改良を経ていない在来種。日本国内に流通する在来種は全体の一%程度しかなく、現在の市場価値とは折り合わない側面が多いなど様々な事情から敬遠され、品種茶に植え替えられてきました。経営面からも品種茶に劣ると分かっていた武久さんは、久樹さんが継ぐとき、品種茶に植え替えることを提案します。しかし久樹さんはそれをよしとせず、在来種を残すことを決めました。それはひとえに、彼の体には種から育つ在来のお茶が合っていたからだと言います。

※もちろん、在来種が絶対的に品種茶に勝るわけではありません。

当店の看板商品は久樹さんの「日野荒茶」。このお茶は、通常よりも仕上げの選別や切断工程をあえて限定的に留めておくことで、大きな葉や茎なども残して仕上げているものです。理由は、そのほうが素朴な野性味があり、かえって調和もとれていると私は考えるからです。


2020年の夏、私は1ヶ月を日野で過ごし、久樹さんの仕事を間近で拝見しながら一緒に働く機会を得ました。無駄なことを何一つやらない彼の一挙手一投足。私の横着さに対し「ひとつひとつのことに意味がある」と、ときに叱ってくださったことは一生の糧として私の心に根を張っています。

その期間にはどのようなことでも隠さず、茶商と生産農家としての素顔を見せ、厳しい現実について打ち明けてくださいました。そんな久樹さんですが、私が起業する直前まで「あかん。やめとき。勤めてるほうがええ」と何度も言い続けた方です。しかし私が、曲がりなりにも本当にお茶屋をはじめてしまったものだから、以来ずっと気にかけてくださり、取引先以上の関係性のなかでお付き合いしてきました。

そのお気持ちには、きちんとしたお茶をまじめに伝え続けることで報いたいと思っています。

 「ここ何年かでやっとな、仕事のことが分かっておもしろくなってきた」という彼の生き様を、これからも一緒に走り続けながら伝えます。

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満田製茶のお茶

日野荒茶(在来種)120g / 980円

日野焙じ茶(在来種)100g / 980円

煎茶ティーバッグ 10包(在来種)/ 750円

粉末緑茶(やぶきた種)50g / 1,000円

粉末焙じ茶(在来種)50g / 850円

※いずれも無農薬有機栽培

※内容量と価格は2021年夏現在

2021/09/04

葛藤とともに歩む / 小﨑 孝一さん / 熊本県 山都町 倉津和地区

 


生産者の話

小﨑 孝一さん(熊本県 山都町 倉津和)

販売開始以来、たいへん好評。「倉津和釜炒り茶」の生産者である小﨑さんのことをご紹介しましょう。この記事は2020年12月にご自宅を訪問して伺ったお話を起こしたものです。


小﨑家と地域の茶業

小﨑さんは、熊本県の山都町にある「菅尾共同製茶工場」の工場長を務めています。菅尾地域の生まれ育ちですが、一時期は大阪の堺で中学校の教員を務めていたこともある経歴の持ち主。彼の話しぶりは論理的で淀みなく明瞭。聴き入ってしまう魅力があります。

小﨑家が茶業に乗り出したのは戦後。お父様が地域の営農指導をしていたこともあり、その知識を生かして自宅に茶樹を植えたのがはじまりです。

この地域ではお茶づくりといえば昔から釜炒り製。現在全国的に主流の蒸し製煎茶は、蒸気で茶葉の酸化酵素を失活させ酸化発酵を止めるもの。一方の釜炒り製は鉄釜の熱により「蒸し炒り」のような環境をつくり酵素反応を止める手法で、煎茶以前から存在します。釜炒り製は、加藤清正が朝鮮半島から職人を連れてきて製造させたことが原点だと一説にも言うように、もともと国内にあった作り方ではなく、大陸から輸入されたものです。

小﨑家のお茶は、ほど近い矢部地区の茶商や学校、そして生協などと多くの取引がありました。しかし時代の流れとともに取引量は減少。その間にペットボトルのお茶も台頭しました。さらには、釜炒り茶の名手だと地元でも名高かったF家が蒸し製煎茶に転換したことは決定打でした。菅尾製茶工場でも「これからは新しいこと、今までとは違うものをつくろう」という気運が高まります。工場にふたつあった釜炒り茶の製造ラインのうちひとつが煎茶用に作り変えられたのは平成10年のこと。

この地域は伝統的に釜炒り茶の生産地。小﨑さんが昔ながらの釜炒り製を維持しつつも煎茶づくりに着手したことは、資本主義的な潮流に抗うことの難しさを感じさせる出来事だと感じられます。そのような私の一方的な思いとは裏腹に、小﨑さんは「新しいことをするのはおもしろいし、蒸しにすることで苦はなかったですよ」と言います。このような生産者の気持ちの機微は、「釜炒りが減っている」という全体の流れを見るだけでは知ることができません。これを知っただけでも価値のある訪問だったと感じます。

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余談… 九州といえば、「グリ茶」をご存知の方もいると思います。蒸し製玉緑茶とも呼ばれるグリ茶は、煎茶の製造工程のうちピンと伸びた直線を生み出す「精揉」という工程をあえて省いたお茶で、見かけ上は釜炒り製のような勾玉状。菅尾は、蒸し製のお茶づくりを始めた当初からグリ茶ではなく、精揉工程を経る煎茶を製造しました。近隣の花上地区でもすでに煎茶を製造していたため、これにならってグリ茶は作らないことにしたそうです。


よい釜炒り茶とは

現在、小﨑家の製造量は煎茶が釜炒り茶を上回ります。しかし私に淹れてくださったのは、釜炒りのお茶。それについて小﨑さんは特に説明をしませんでしたが、彼の本心はその1杯に現れているように感じられてなりませんでした。

小﨑さんは、釜炒り茶には品種茶ではなく在来種が向いているといいます。在来種はひとつひとつのお茶の遺伝形質が違い、自然なブレンドを経て多層的な味わいを持ち、またサラっとした飲みやすさもあります。(小﨑さんの茶園には在来種がないので、当店では「やぶきた」を使用したものをお預かりしています)

家が茶業を始めた当初は自園の茶葉量が少なく、よそから生葉を買って製造することもありました。こうした茶葉のなかには、ほぼ手入れされていない畑のものがあり、肥料を使わず、葉も青々とした緑というよりは黄色をしていました。一見して貧弱かと思えるそのようなお茶のなかに、とびきり香りがよく美味しいものがあったと小崎さんは回想します。

「肥料を入れると香りを無くすんじゃないかと思います」と彼が語ったことに私は驚きました。今でこそ、肥料由来の強すぎる「旨味」ではなく、香り本位のお茶作りに挑戦する生産者は多くいますが、小崎さんのように早くからこのようなことに気がついていた感覚の持ち主は類稀なのではないでしょうか。あるいは、昔はそんなことは当たり前だったのかもしれません。

小﨑さんは、岩永智子さん(川鶴釜炒り茶の生産者)のお父様である博さん(故人)と親交が深かったようで、博さんのある言葉を回想します。それは、「よか茶を作りたかったら、茶を摘むな」。

生産性重視の栽培から香りのよいお茶はできないという意味で、小﨑さんは「今になってお父さん(博さん)の言葉がよくわかる」と言います。商売としてお茶を作り、市場に流して販売していくためには、ある程度の量はつくらなければならない。そのためには肥料を一定程度使用して茶樹に養分を補給し、年に何度かの摘み取りに耐えられるようにする必要があります。

しかし、近年の審査基準では釜炒り茶でさえも「旨味」や「外観」が重要。昔ながらの外観や香り高さは最重要ではないのです。とはいえ、施肥量が過度になれば香りの発揚を阻害してしまう。※香りやオリジナリティを評価しようとする品評会もあります

おいしいお茶は肥料少なめがいい。しかし市場価格にあわせた生産量で食べていくためには生産性が伴っていなければならず、しかも審査基準もそれに沿ったものになっている。ここに、小﨑さんの葛藤があります。

市場で評価され売れるお茶とは例えば、青々とした水色、冴えた緑の茶葉、そしてこってりとした旨味ののった味わいです。ところが釜炒り茶の伝統的な姿とは、水色は黄色で時にほのかに赤っぽく、茶葉はやや白みがかっており、旨味ではなくさっぱりとした香りをたたえたもの。

あるとき小崎さんは、ごく一部のお茶だけは肥料を与えずに育てて販売しましたが、このお茶は市場で買われるものではありませんでした。

もちろん、肥料が悪者であるという話ではありません。要はバランスで、たとえば日野の満田さんはぜいたくに油かすなどを施肥してお茶にしっかりと味をのせています。もちろん肥料は、味だけでなく収量も左右します。彼は「無施肥はうちの畑には合わへん」と言います。



葛藤とともに歩む

小﨑さんは33歳でお茶づくりをはじめ、今年70歳(2020年現在)になられますので足掛け37年間もお茶をみてこられました。そのなかで、自分がおいしいなと思うお茶と、市場が求めるお茶とのギャップに悩みつつ、今日まで釜炒りのお茶を無くさずに存続してこられました。維持することは容易ならず、ただ感服するばかりです。

彼のお茶は、ある意味で彼の葛藤をそのままに表したかのような味わいを持っています。1煎目では、当店で扱っている釜炒り茶としては強く肥えの効きを感じさせる味わいが表に出ますので、彼が市場価値を意識してお茶を作っていることを否応なしに感じさせます。しかし丁寧な肥培管理を感じさせる無理のないおいしさであり、簡単に言えば「さっぱりと旨いお茶」です。

ところが肥えの雰囲気は2煎目から抜け、突如として釜炒り茶らしい「釜香」が顔を出します。この香りをきちんと感じるためには、最初の炒りだけでなく仕上げに至るまで各工程の丁寧な調整が必須であり、寡黙な小﨑さんの技術が余すところなく生かされています。この釜香はさらに煎を重ねてもなかなか衰えません。



抑揚は少なめに、とつとつとお話をされる小﨑さん。内面的な思いの強さを感じるようなお人柄であり、彼が釜炒りのお茶から無くしたくないと願っている核心部分は、やや控えめにではあってもきちんとそのおいしさのなかに残っています。

釜炒り茶がたどってきた時間の流れを追いながら味わうと、葛藤とともにある彼のお茶はたいへんな人間的魅力があり、ドラマティックであるとすら表現しても差し支えありません。

何気ない一杯に、ひとりの農家のかけがえのない気持ち。直接お会いしてお話を聴かなければ捉えきれなかった彼の気持ちを、これからは皆様にも少しずつ手渡したいと思います。

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倉津和釜炒り茶

小﨑孝一 作 / 熊本県山都町倉津和

釜炒り製緑茶 やぶきた種 無農薬 有機栽培

¥980 / 80g

オンラインストア

https://chaokamura.base.shop/items/39507213