推したいアイドルが、子どもの頃からの呪いを解いた。ばかばかしくて、ちょっとまじめな話。
長い&お茶は無関係。
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小学生のころから親の影響で音楽がとても好き。暇があると聴いてきた。特に父はジャンルと音質に対するこだわりが強い。息子にも良質な音で聴いてほしいからか、高校受験に合格したあと高価なBOSEのコンポを買い与えてくれた。それは同級生の誰も持っていない自慢のハードウェアだった。
今はそうでもないが、当時の父は米国ブラックミュージック専門と言ってもいいくらいで、ジャズ、R&B、ソウル、フュージョンを若い頃から聴き続けていた。だから、EARTH,WIND&FIREとか、ラムゼイ・ルイス、ジョージ・ベンソン、ハービー・ハンコック、ベイビーフェイスなどがよく聴こえていた。
そのこだわりが強すぎて、母親がまだガールフレンドだった当初、「TUBEのコンサートに一緒に行きたかったのに叶わなかった」と、いつか僕に恨み節を語ってくれた。
僕もツタヤで流行の曲を借りてもらっても、それを実家のリビングで聴くことはあまりなかった。父が気分を悪くすることがわかっていたからだ。たとえば、GLAYやL'Arc〜en〜Cielは父の前では聴かないほうが懸命だった。
もちろん、父に感謝している。父は亡きマイケル・ジャクソンの存在を幼少の僕に教えてくれた。かの"Billie Jean"にあわせて6歳の少年がムーンウォークを皆に披露するビデオが残っている。
中3のころ深夜番組で再びマイケルに出会い、父から「これは友くんが子どものころによう聴いていた歌手や」と教えられた。その旋律には聞き覚えがあった…記憶のはるか彼方で鳴っているメロディーにあわせ、努力を惜しまぬ天才がステージで踊る姿に、一瞬にして虜になった。CDを聴き漁り、ビデオをあちこちで探して親にせびってブートレグを買いまくった。4,5年は聴く音楽の90%がマイケル・ジャクソン。ついでに英語に興味を持ち、ついに外国語大学に入学して、1回生のクラスメイトとして多和田紀子氏と出会った。今の妻である。
父は音楽をつうじて僕の生涯の方向性のひとつを示してくれた。
しかし僕は呪いにかかってもいて、それに昨日気がついた。「アイドルの音楽は正しい音楽ではない」という呪いである。
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遡ること23年前、当時はモーニング娘。が押しも押されぬ一世風靡。老いも若きも恋愛レボリューション21。猫も杓子もLOVEマシーン。そういう時代。みんな可愛かったから、女の子のことなんて全然知らない中学生の僕は惚けてテレビで見とれて、音楽も聴いていた。安倍なつみさんが好きで、少し年上の可愛いお姉さんの笑顔もプロポーションも、それこそ少年の夢という感じだった。
「恋愛レボリューション21」のシングルCDが発売されたころ、長谷川書店ではCDを購入することができた。それもフライングゲット可。僕はCDが欲しかった。もちろんお金はなかったので両親に打診した。これが呪いのもとだった。
父は露骨な嫌悪感を示した。聴かせてきた音楽と全く違うものを息子が求めていることが嫌だったのかもしれない。流行りのガチャガチャした音楽を認めない父。それがもとで僕は母親とも微妙に揉め、両親と僕の、今思えば生涯をつうじて激烈にしょうもない喧嘩のひとつに発展してしまった。両親、とくに父にしてみれば、モー娘。のCDなど買うに値しない品物だったのだ。だが僕は真剣だった。ゆっくり聴きたかったのだ。安倍なつみさんが写っているジャケットを手元に置きたかったのだ。スマホもネットもないんだから。少年のはかない夢、風前の灯。
その抗争は、現金を叩きつけられるという形で幕を閉じた。そんなに言うなら勝手にしろよ!という訳だ。僕はお札を恐る恐る握りしめ、チャリでCDを買いに行った…
「アイドルの音楽にお金を出すことはいけないことなんだ。お父さんの聴くような"奥深い"音楽とは違って、アイドルの歌は、"下"の音楽なんだ。こんなCDを買うのは恥ずかしいことなんだ...」そう思いながらも、しかし一方で聴きたい自分がいる。混乱している。大人はわかってくれない。まるで昼間にヌード写真集でも買い求めるかのような後ろめたさを引きずりながら、僕はCDをレジに持っていく。会計のとき、書店の人に何か言われるかと思った。「へえ、こんなの聴くんだ…」って。もちろん書店の人は何も言わずさっさと会計を終わらせて、それでおしまいだった。
これは生涯忘れられない買い物になった。このCDを自室以外で聴くことは絶対にしなかったし、親の耳に入らぬよう努力した。
当時、5つ下の妹もモー娘。が好きで、メンバーになりたい!とかわいい夢を語りながら、母親に買ってもらったVHSを何度も見返してはテレビの前で歌い踊っていた。それは「問題なくて可愛げのあること」だった。
きょうだいそれぞれに対して親のリアクションが違う。しかも自分の興味関心についてはネガティヴに扱われる。そんな出来事があってから、僕には強い呪いがかかってしまった。
…音楽には貴賤がある。アイドルに興味を持つのは恥ずかしいことである。他に聴くべき『高尚な』音楽がある…
反発すればよかったのにしなかった。面倒だったし、どうせ分かってもらえない。だから諦めて、アイドルに興味を持たないようになった。高校生以後、アイドルを観たり聴いたりお金を出したりすることをしなかった。いつしかそれは五徳の油汚れみたいにこびりついて五徳そのもののようになり、自分自身の価値観のようになってしまった。これはとても怖いことだ。自分で選んだのではない価値観が、まるで自分のもののようにいつのまにか染み付いていた。「アイドルの音楽は大したことはない。それより他に良いものがある…」
それは術中に陥っていることに気がつかない、したたかな呪いだった。父はそんなことは予想しなかっただろうし、今このことを知ったらとても落ち込むだろう。(父を知る人へ。恨みから書いている文章ではまったくないので、そっと見守ってください。僕は父の素朴な人柄を心から尊敬しています)
今思い返せば、あれとこれを並べてどちらが「優れたエンターテインメントか」など、およそばかばかしいことだ。でも世の中の広いことを知らない子どもだったから。今はわかるけど、そのときはばかばかしさが分からなかった。
ハロプロもAKBも坂アイドルもK-POPもジャニーズも、ほとんどすべてを拒絶して過ごした。気を抜けばライトなポップス全部を否定しかねないくらいの思い込み。タワレコのアイドルコーナーには絶対に近寄らなかった。
だからそれにお金を投下しまくる人々に、僕は奇異の、もしかしたら羨望の、眼差しを送り続けた。楽しそうな彼らの顔に、何か心中でうずくものを抱え続けていたけれど、それには思いを馳せないようにして過ごした。
そんな僕の音楽に対する見方を妻は敏感に察していて、いつしかうちで流す音楽は僕が良しと思うものでなければならないかのような空気に満ちていた。僕はそう思ってはいなかったけれど、家族は気を遣っていた。
僕は実家の空気を、いやもしかしてそれより強固なものを、自分の家族の中にも生んでいた。
…
この夏のある日、なんとなく携帯を触っていると、NewJeansという韓国のグループが流行しているという話を目にした。
なぜそうしたのかは分からないけれど、彼女たちのアメリカでのコンサート映像をYouTubeで観た。ものすごい数のオーディエンスが人種性別年齢に関係なく集まっていて、ただ目の前の韓国の子たちのパフォーマンスに熱狂していた。
その中にひとり、若くてスマートな雰囲気の黒人男性の姿があった。少なくとも外見のうえはブラックミュージックを伝えてきた人々を体現しているその彼は、NewJeansの歌と踊り、そしてバンド演奏に身を委ねて軽やかに体を揺らせていた。
ポコッ。僕の中の壁に小さい穴が空くのがわかった。父が信奉しているブラックミュージックと、父が好きではないアイドルのポップスが、その彼の中で混ざっているように見えた。
好きなものに好きと言っていいのだ…アイドルが好きだと堂々と表現してもいいのだ…。そんなことは当たり前すぎて、何を今更だと思うでしょう。お茶だってそうだ。僕は「人の物差しによらず、自分が好きと思うものを大事にしてください。そして他者の好きを否定しないでください」と言い続けてきたのだから。
でも音楽に関して子どもの頃の呪いが残ったままの僕は、自分の中でその言葉を消化できていなかった。
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11月の暮れの頃。忙しすぎて精神的にも体力的にもとても参っており、家族の前で全く笑えなくなっていた。そのころ妻は、家族が寝静まってからアイドルのオーディション番組を人知れず配信で観ていたそうだ。Produce 101 Japanという企画だった。「そんな話を僕には出来なかった、好みじゃないと思うから何と言われるかわからなかった」と妻は言う。
そのとき僕の精神状態は本当にまずかった。ぽつりぽつり、恐る恐る妻が僕に話してくれるオーディションの話にネガティヴな反応しかできなかった。そういう企画の負の側面しか考えられなくて、そんな反応しかできないがそれでもいいか、と妻に確認しながら話を聴く始末だった。いまそのときの自分にタイムマシンから直接飛び蹴りしたい。
推しがいる、と妻は言った。加藤心さんという人で、元々は韓国のアイドルグループで活動していた人だが、脱退してから表舞台には出ず、今回のオーディションで再び姿をあらわしたのだという。その時点で101人いたデビュー候補は20人にまで絞られていて、最終的には11人になる。心さんは事前の人気投票で上位にいながら最終投票直前に大きく順位を落とし、デビュー組に入ることが出来るのか危うい状況だった。
妻はそのことで本当に気を揉み、つらそうに日々を過ごしていた。それほどまでなのか。アイドルにそんなふうに感情移入するのか。あなたはそんなふうになれるのかよ。
12月16日土曜日。オーディションの最終パフォーマンスとそれに続く最終投票結果がテレビ中継されるというので、妻からこの日だけはどうしても店に立てないと聞いていた。それで僕は昼から店をひとりで担当していたのだけれど、昼過ぎのあるときだったか、2階から娘の歓喜の声が聞こえた。これは良い知らせだったのかな…と思いながらも妻が報告のため降りてくるのを待った。
小一時間してから降りてきた妻は押し黙って僕の後ろにやってきて、肩をぽんぽんと叩き「デビューが決まりました」と言った。心さんはぎりぎりの11位で、どうにか食らいついて結果を離さなかったのだ。「憑き物がとれた」と妻は言った。
店が落ち着いてから僕は最終パフォーマンスの動画を観た。心さんの踊っているのをそのときに初めて目の当たりにして、刹那、長い間アイドルに目を向けなかったことを後悔した。
その理由は心さんのステージ上での笑顔だった。それがステージのためにつくられるものなのか、それとも本当に楽しみから生まれるものなのか、はたまたそれらが同居しているのか、さらには別な源があるのか、僕にはさっぱりわからないけれど、僕はその笑顔に一目でやられてしまった。なんという素敵な笑顔。みずみずしすぎて直視困難だった。これがアイドル…
K-POP流の可愛くて格好良さも忘れない、メリハリのある楽曲たちも気に入った。引き続き聴きたい!と思った。
心さんのステージ上での笑顔は、マイルスのどよめき、ハンコックの美しさ、ベイビーフェイスのぬくもり、ラムゼイのやさしさ、そして愛するマイケルのきらめき、それらのどれにもない輝きを放っていた…アイドルで、アーティストだと思った…
推したい…というか可愛い…
と、「推し」という言葉が一般に定着してから、僕ははじめて推したいと思うアイドルを見つけた気持ちになった。これが、これが、かの名高い「推す」というアクションの幕開けなのかよ。これを知らなかったのかよ。これのどこが悪いんだ?
そして僕は長い呪いにかかっていたことに初めて気がついた。子どものころに植え付けられた価値観がいかにして自分を知らず知らずのうちに縛り付けていたのか、楽しめたことを楽しめずにいたのかを、思い知ることになった。
今や僕は中学生ではなく、自分で働いて好きなものを買い、好きなアーティストのライブに行って体を揺らすことができるようになった。そもそも鎖などどこにもなかったのに、勝手に自分を縛り付け、無難な安住に甘んじていたのだ。なんでこんなに堅苦しくなるんだよ。
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