2020/03/20

木の人と風の茶 続 / 鶯歌・ドイツ

3月19日、政所を訪ねて今年の平番茶の加工の様子を確認してきました。

この日の同行者の中に、私とさほど変わらない世代の方がひとり。彼女は禅で修養を積むドイツ人の女性(Nさん)で、毎月の日本茶講座を受け持っている京都・河原町のGenki日本語学校でたった2日前に出会ったばかりでした。

昨秋にも私は、台北からさほど離れていない鶯歌の老街で、同じく禅を学びその体系を実践する老師、そして彼に学ぶ人々と交流したのです。「木の人と風の茶」というタイトルで書いたそのときの記事で、私は1970年代の烏龍茶を飲んだときに涙が止まらなくなり、老師の前で崩れるという出来事についても触れています。

Nさんと出会ったその日、きっとこれは重要な出会いだという確信がありました。自分にとって特別な、そして何かを共有している人と今日出会ったと、心から思ったのです。彼女はお茶に対して天井知らずの興味関心を抱いており、そして現在流通している日本茶の多くに欠けている要素を直感的に見抜いているセンスの持ち主でした。そして彼女は、禅をすでに20年以上も学び続けている人でした。

また、禅だ…どうして禅をしている人と出会ったときには、こんなにも心が動かされるのだろうか。そのように私は動揺していました。台湾での経験は一生の糧になる、そう思いながらもまだあの経験を消化しきれていないなか、またしても禅というキーワードを備えた人物が前に現れ、そして強烈に惹かれる何かを感じさせるのですから。

その日の日本茶講座で彼女は多数の、そして核心を突いた質問を繰り出しました。別れ際、思わず私は、I'm visiting tea farmers the day after tomorrow.  Do you want to come with me? と尋ねました。もっとこの人と話したい、そして彼女なら言葉にならない私のお茶に対する気持ちを、きっと現場で汲み取ってくれると、そう感じたからです。

彼女は、Yes と即答。言語の違いを超えた共感を、既に感じていました。

講座のなかで彼女は、ドイツでの禅の学びのなかで触れたいくつかの日本茶のうち、ある緑茶に接したとき涙が止まらなかったというエピソードを話してくれました。お茶に泣いた…この人は自分と同じ経験をしている…私は驚いていない顔をして、話を聴きました。お茶に泣くという体験は、自身にも起こったので、誰しもに有り得るものだと思っていたからです。

いよいよ当日、車中で彼女と話した話題はあまりにも多様で、ここでひとつひとつに触れることはできません。日本とドイツの社会制度の違い。歴史が人々に影響し精神構造を少しずつ動かしていくこと。政治的無関心。ポピュリズム。資本主義。子どもたちの教育。学びのあり方。ドイツ人の彼女にはかなり奇異に映る、日本人のある側面について…。

お茶に対する価値観とこれらの話題を通じて、私は彼女と根底のところでかなり共通する社会の見方をしていることがわかりました。

I'm sure you are feeling what I want to say.  You know that.  We are sharing it.

このような感じで、そうそう、わかるよ、と頷き合う場面がいくつもありました。彼女も私も英語は母語ではありませんが、英語を介して話をしました。私は彼女ほどに流暢な英語を操る訳ではありませんが、普段ならば出てこないような言葉たちがするするといくつも口をついて出ました。外国語を操るのに必要なのはスキルではなくて、その言葉を使って伝えたいことを内に抱いているか否かだと、今更ながら気が付いたのです。

We met for the first time only two days ago, but don't you think we have been friends for a long time?

私たちは出会ったばかりなのに、ずっと前から知っているような気がする。途中からお互いにそう思っていました。このようなことを対人関係の中で感じたのは、生まれてから全くといっていいほどに、ありません。そしてこんな出来事が、生まれ故郷や母語というバックグラウンドの全く異なる人物との間に起きたことに私は驚いていませんでした。

彼女と私は、一個の命を生きている人間であり社会にむけてアンテナを大きく広げ、善く生きようとしている点で、何も変わりませんでした。文化と言語を超えた交流だったのです。

私たちは政所で平番茶の製造を見、集落内を散策し、川嶋いささんと再会し、そして日野の満田さんの茶畑までも一緒に訪ねて長い一日を過ごしました。気が付けばあっという間に地元の駅まで帰り着き、駅舎で彼女といったんのさようならをすることに。

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帰りの車中、彼女はこう言いました。

「お茶で涙を流したというエピソードを、あなたの講座を受けた日に話したよね。実は普段ならあの話はあまりしない。だって、ちょっと変に聞こえてしまうかもしれないでしょ?お茶に泣くって、そんなに一般的な出来事ではないと思うから。あの日、あなたの講座に私は少し遅刻して到着した。教室に入ってすぐ、あなたと話をまだ何もしないのに、突然感じたの。あの話を、この人には伝えなければならないって」

なんということだと、私はハンドルを握りながら打ちのめされそうな気持ちがしました。そして自身の話もしました。

「台湾で僕もお茶を飲み涙が流れた。そのとき心に起こったことがいまだによく整理できないけれど、禅の老師は僕にこう言った。『あなたは老松のような木の性の人で、老松が風を受けて姿勢を傾けるように周囲の環境から強く影響を受けるのと同じく、感受性がとても強い。あなたはお茶と会話ができるのだ。私から学ぶことは何もない』って。僕はこの人から学んでみたいと思ったばかりなのに、それを察してか学ぶ必要がないと言われてしまった」

これを聞き17歳から禅に身を捧げた彼女は、小さく笑って言いました。

「それが禅なの」

こんな話が出来る人と巡り合えたことが嬉しくて、私はまたしても禅という世界の淵に立って涙を流すことになりました。

「僕、また泣いてる。なんということだ。Nさん、あなたが運転してよ。僕は泣けて運転できないから。国際免許持ってる?代わってちょうだい!じゃないと危ないよ」

彼女は「私、国際免許は持ってないし、持ってたとしてもドイツと逆の左側運転なんかできないわよ。私が運転するほうが危ない」とけらけら笑っていました。

「Nさん、あなたから学びたい。どうしたらいい?」

そう言うと彼女は「西洋人が禅を学ぼうとするときに必ずといっていいくらい目を通す本があるから、まずはそれを送る。私は日本に毎年来て、ドイツで禅を学ぶ人たちを率いてツアーをしている。そのときに必ずあなたには会うようにしたいし、できたら彼らが本当にいいお茶をつくる現場を見て、そしてあなたがお茶について思っていることを聴ける場を設けさせてくれない?」と言ってくれました。

山崎駅で、別れ際に握手。

乾物屋スモールのまどかさんとも先日握手をしました。まどかさんは小柄な女性だけど、ぎゅっと強く握りしめてくれる気持ちのいい握手をする人。

Nさんはまどかさんよりもずっと大柄だけど、彼女の手はまるで裏起毛の羽毛布団に頭から入っているときのように軽くて温かく、誠実な感じをまとっていました。

改札の向こうでNさんはすっと立ち、見たこともないくらいに自然で美しい礼をしてくれました。ぶしつけな私は、ただ笑って手を振るしかできませんでした。

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そうして満たされた幸せな気持ちでひとりトヨタを走らせ自宅前の駐車場に到着。たくさんの荷物を抱えて車から歩み去ろうとしたとき、一陣の暖かい風が、さあっと横から吹きました。

その風のなかに、確かにお茶の花の香りを感じました。

え、なんで?とびっくりして、ふと横に咲いていた椿の白い花かなと思って鼻を近づけましたが、その椿からは何も香りがしませんでした。もちろんお茶なんか生えていない団地だし、そもそもお茶の花のシーズンはとっくに終わっています。

それなのに、その風は茶花の香り。

でももう、次に吹いた風は何もまとっていませんでした。

「あなたは木の人。風の茶があなたを解放する」

鶯歌の老師は、心中で再び私に向かってそう言い、「そういうこともあるのかな」とちょっとだけ納得した気持ちになりました。

玄関を開くと、私がどんな気持ちでいるか知りもしない小さな娘と小さな息子が、駆け寄ってきました。

2020/03/15

乾物屋スモール 思い出とこれから

起業する前から交流のあった「乾物屋スモール」の店主、まどかさんのところへ行ってきました。

お店のできる前から、彼女の発行していたフリーペーパー「スロウダウン」の読者です。一度、同誌で日本茶をインタビュー記事にしてくださったこともありました。スロウダウンではどんな立場のどんな考え方の人もフラットに紙面に登場し、人々の小さくささやかな生活のなかに、豊かで広大な世界があることを、まどかさんが伝えてくれました。

まどかさんの視線が紙面にあふれていて、励みになったり、何かを変えていくきっかけになったり、支えに感じてきた方はきっとたくさんいると思います。少なくとも私はそのひとり。

少し前にまどかさんから、乾物屋スモールをいったん閉めることになるよという話を伺いました。3月末をもって、およそ3年半の高槻市塚脇での店舗営業を終えられます。ゆっくりお休みを取られたのちに、茨木市を拠点として再び歩み出される予定。

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まどかさんと出会ったのはたぶん5年前。当時私が妻と一緒になって発行した「しまもとノート」というフリーペーパーを知ってくださった大山崎町のオオバチエさんが、「こんな女性がいるんだよ」といってあるイベントの際に引き合わせてくださったのが始まり。

それから途切れず交流が続くようになり、それぞれにお茶屋・乾物屋としてスタートを切りました。

先に店舗を持つに至ったまどかさんの様子はまぶしくて、でも肩で風を切るようにして歩く実業家という感じではないのです。スロウダウンの視線と温かさそのままの、優しい人。いつだって芯のしなやかさを感じる仕事ぶり。ゆったりした佇まいの中に、きりっとした空気を帯びて、そういうのがちょっとカッコイイなと私は密やかに感じていました。

私が起業した当初は、お茶を誰かに卸すなんて予期していませんでした。でもまどかさんから「お店にお茶を置きたい」と話をいただいたとき、どんなにかうれしかったか。

なるべく介在する人の数を減らし、農家のメッセージを直に伝えることを目標としてきた私でしたが、まどかさんなら別。彼女が間に入ってくれることで、私には作ることのできない道筋がたくさん生まれるだろうなと心から思えたのです。安心してお茶を託すことができたのは、彼女がお茶に詳しい人かどうかは関係なく、彼女のお人柄と、そして彼女がどんなにか生産者のことを気にかけて日ごろ過ごしているかを知っていたからでした。

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いまも記憶に新しい出来事がありました。

2016年初夏のことです。当時51歳だった私の母の身体のなかに、進行の非常に早い癌が広く散らばっていることがわかりました。長く生きられる見込みはないことを主治医から告げられ、味わったことのない絶望のなか、父と妹と私は話し合いを幾度も重ねました。母の気持ちを最も尊重できる過ごし方を考えるため。

しばらくして在宅ケアに切り替わって以降、母はほとんど動けず、食べられるものもほとんどありませんでした。

ほんの少しでもいいからおいしいものを口にしてほしい。そしてあわよくば理屈を超えた奇跡が母の身に起きてくれはしないか。そんな風に考えながら、少しだけでも口にするよい食材を、つてを頼りに集めました。

当時母の隣の家に住んでいた私は、母の食事を担当することになったのです。この頃は気が動転していて、細かいことを覚えていません。それでも唯一記憶に強く残っているのが、まどかさんから買った豆でした。

豆の茹で汁がよい出汁になって、おいしい味噌汁ができたのです。とびきり素敵な民芸品の器を水無瀬で新調して、味噌汁の上澄みと玄米の重湯をよそって、母のもとへ。

スプーンでほんの少しだけすくって口元に運びます。母は「おいしいね」と言って、じっと目を閉じて、一口をずっと味わっていました。二口ばかりか時間をかけて食べて、それだけで食事はおしまいでした。

「ごめんね、いろいろしてもらって」と言う母に、「ええねん。今までいろいろしてもらったやんか」と返して、泣かないようにするのが精一杯。当時、母のいないところで毎日ずっとずっと泣いていました。

在宅が始まってまだ4日目に体調が急変。その翌日、母は逝きました。

その後、お礼のメールをまどかさんに送って、しばらくして返ってきたお手紙は今でも大事にとってあります。4年前のそのお手紙を読み返しながら、この記事を書いています。

この頃は彼女の前で話しているだけで泣けてしまったり…とにかくたくさんの支えになってくれる人がいるなかで、居てくれてありがたい存在でした。

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あれからもう4年。乾物屋スモールを訪ねて、芯のぶれない店主と話をすることは、私にとってずっと大事な時間でした。初心を思い出させてくれたり、「あ、いけないいけない!」と気づきがあったり、それからなんでもない笑い話をしたり。ぶれない店主の時折やらかすミスが、私は大好きでした。

ひょっとして今日が今のお店に行く最後の日かもしれない。そう思って「まどかさん、写真一緒に撮って!」とお願い。自分からこんなことをお願いするのはちょっと珍しいこと。

思いのたけを言葉にして面と向かって言うのは得意ではないけれど、今日はがんばって感謝の気持ちを、一部だけでも絞り出しました。いや、一部というのは本当は偽りで、もじもじしながら言うその有り様が、たぶん私にできる全てなのだったと思います。

別れ際には握手。まどかさんは私より背丈が小柄な女性ですが、握手のときはものすごく大きな手に感じるのです。強く握り返してくれるその手に私は少し安心して、一方で彼女が抱いているであろう新しい暮らしへの不安もまた、どこか伝わってくるようでした。

だからそれは、気持ちが晴れたり憂いたりを繰り返す、素朴なひとりの人間の命そのものでした。

写真のまどかさんが持っているのは、茨木市の三島独活(みしまうど)。独りで活きると書いてウドと読み、しかしこの三島独活の場合、人が手間暇をかけて丁寧に栽培することが必須。

だから、独りでは活きられない。そんな気持ちが込められた野菜なんだそうです。

たしかに、独りで活きてこられたためしなんて、ない。

これまでたくさんの支えになってくれたまどかさんと、彼女の心で満たされた素敵なお店に、精一杯のお礼を。ありがとう。

そしてもちろんこれからも、よろしくお願いします。

僕たちは独りでは活きていけないのだから。