2020/03/15

乾物屋スモール 思い出とこれから

起業する前から交流のあった「乾物屋スモール」の店主、まどかさんのところへ行ってきました。

お店のできる前から、彼女の発行していたフリーペーパー「スロウダウン」の読者です。一度、同誌で日本茶をインタビュー記事にしてくださったこともありました。スロウダウンではどんな立場のどんな考え方の人もフラットに紙面に登場し、人々の小さくささやかな生活のなかに、豊かで広大な世界があることを、まどかさんが伝えてくれました。

まどかさんの視線が紙面にあふれていて、励みになったり、何かを変えていくきっかけになったり、支えに感じてきた方はきっとたくさんいると思います。少なくとも私はそのひとり。

少し前にまどかさんから、乾物屋スモールをいったん閉めることになるよという話を伺いました。3月末をもって、およそ3年半の高槻市塚脇での店舗営業を終えられます。ゆっくりお休みを取られたのちに、茨木市を拠点として再び歩み出される予定。

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まどかさんと出会ったのはたぶん5年前。当時私が妻と一緒になって発行した「しまもとノート」というフリーペーパーを知ってくださった大山崎町のオオバチエさんが、「こんな女性がいるんだよ」といってあるイベントの際に引き合わせてくださったのが始まり。

それから途切れず交流が続くようになり、それぞれにお茶屋・乾物屋としてスタートを切りました。

先に店舗を持つに至ったまどかさんの様子はまぶしくて、でも肩で風を切るようにして歩く実業家という感じではないのです。スロウダウンの視線と温かさそのままの、優しい人。いつだって芯のしなやかさを感じる仕事ぶり。ゆったりした佇まいの中に、きりっとした空気を帯びて、そういうのがちょっとカッコイイなと私は密やかに感じていました。

私が起業した当初は、お茶を誰かに卸すなんて予期していませんでした。でもまどかさんから「お店にお茶を置きたい」と話をいただいたとき、どんなにかうれしかったか。

なるべく介在する人の数を減らし、農家のメッセージを直に伝えることを目標としてきた私でしたが、まどかさんなら別。彼女が間に入ってくれることで、私には作ることのできない道筋がたくさん生まれるだろうなと心から思えたのです。安心してお茶を託すことができたのは、彼女がお茶に詳しい人かどうかは関係なく、彼女のお人柄と、そして彼女がどんなにか生産者のことを気にかけて日ごろ過ごしているかを知っていたからでした。

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いまも記憶に新しい出来事がありました。

2016年初夏のことです。当時51歳だった私の母の身体のなかに、進行の非常に早い癌が広く散らばっていることがわかりました。長く生きられる見込みはないことを主治医から告げられ、味わったことのない絶望のなか、父と妹と私は話し合いを幾度も重ねました。母の気持ちを最も尊重できる過ごし方を考えるため。

しばらくして在宅ケアに切り替わって以降、母はほとんど動けず、食べられるものもほとんどありませんでした。

ほんの少しでもいいからおいしいものを口にしてほしい。そしてあわよくば理屈を超えた奇跡が母の身に起きてくれはしないか。そんな風に考えながら、少しだけでも口にするよい食材を、つてを頼りに集めました。

当時母の隣の家に住んでいた私は、母の食事を担当することになったのです。この頃は気が動転していて、細かいことを覚えていません。それでも唯一記憶に強く残っているのが、まどかさんから買った豆でした。

豆の茹で汁がよい出汁になって、おいしい味噌汁ができたのです。とびきり素敵な民芸品の器を水無瀬で新調して、味噌汁の上澄みと玄米の重湯をよそって、母のもとへ。

スプーンでほんの少しだけすくって口元に運びます。母は「おいしいね」と言って、じっと目を閉じて、一口をずっと味わっていました。二口ばかりか時間をかけて食べて、それだけで食事はおしまいでした。

「ごめんね、いろいろしてもらって」と言う母に、「ええねん。今までいろいろしてもらったやんか」と返して、泣かないようにするのが精一杯。当時、母のいないところで毎日ずっとずっと泣いていました。

在宅が始まってまだ4日目に体調が急変。その翌日、母は逝きました。

その後、お礼のメールをまどかさんに送って、しばらくして返ってきたお手紙は今でも大事にとってあります。4年前のそのお手紙を読み返しながら、この記事を書いています。

この頃は彼女の前で話しているだけで泣けてしまったり…とにかくたくさんの支えになってくれる人がいるなかで、居てくれてありがたい存在でした。

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あれからもう4年。乾物屋スモールを訪ねて、芯のぶれない店主と話をすることは、私にとってずっと大事な時間でした。初心を思い出させてくれたり、「あ、いけないいけない!」と気づきがあったり、それからなんでもない笑い話をしたり。ぶれない店主の時折やらかすミスが、私は大好きでした。

ひょっとして今日が今のお店に行く最後の日かもしれない。そう思って「まどかさん、写真一緒に撮って!」とお願い。自分からこんなことをお願いするのはちょっと珍しいこと。

思いのたけを言葉にして面と向かって言うのは得意ではないけれど、今日はがんばって感謝の気持ちを、一部だけでも絞り出しました。いや、一部というのは本当は偽りで、もじもじしながら言うその有り様が、たぶん私にできる全てなのだったと思います。

別れ際には握手。まどかさんは私より背丈が小柄な女性ですが、握手のときはものすごく大きな手に感じるのです。強く握り返してくれるその手に私は少し安心して、一方で彼女が抱いているであろう新しい暮らしへの不安もまた、どこか伝わってくるようでした。

だからそれは、気持ちが晴れたり憂いたりを繰り返す、素朴なひとりの人間の命そのものでした。

写真のまどかさんが持っているのは、茨木市の三島独活(みしまうど)。独りで活きると書いてウドと読み、しかしこの三島独活の場合、人が手間暇をかけて丁寧に栽培することが必須。

だから、独りでは活きられない。そんな気持ちが込められた野菜なんだそうです。

たしかに、独りで活きてこられたためしなんて、ない。

これまでたくさんの支えになってくれたまどかさんと、彼女の心で満たされた素敵なお店に、精一杯のお礼を。ありがとう。

そしてもちろんこれからも、よろしくお願いします。

僕たちは独りでは活きていけないのだから。

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