2020/08/30

孤高の煎茶が生まれる場所へ / 小椋武さんと君ヶ畑

ほんの少ししかないけれど、新しいお茶をご紹介します。

煎茶「君ヶ畑」。キミガハタと読みます。

はじめにお伝えしたいことがあります。この煎茶、ここ数年で私が縁あって口にできた緑茶のうち、ほかの追随を許さない圧倒的な品質を誇っています。手元にはたったの1kg。

凄まじい香気は、かつて多くの日本茶が持っていたという胸がすくような香り高さを今に伝えているようにおもえてなりません。

今回は「君ヶ畑」の生産者のこと、そしてこのお茶が生まれた理由を追ってみましょう。

生産者は、滋賀県東近江市の君ヶ畑に代々お住まいである小椋武(おぐら たけし)さん。山の材木と茶を代々の稼業とし生活してこられました。

今年、数えで80歳になられると仰いますが、屈強な体格と背筋の伸びには何ら衰えというものを感じさせません。

小椋さんのいらっしゃる君ヶ畑は、政所茶ブランドを支える奥永源寺地域の七集落のなかでも、最奥にあります。木地師の祖と敬われる惟喬親王(これたかしんのう)が都を離れ、各地を転々としたのちに住まわれたとされる由緒ある土地。君ヶ畑の「君」とはこの親王に他ならず、親王を祀る荘厳な神社も集落に残っています。

小椋さんとお会いすることが叶ったのは、7月に山形さんのもとを訪ねて今年の政所茶をひととおり試させていただけたことがきっかけです。

このときほんとうにたくさんの、それぞれに素晴らしいお茶を試しました。

すでに販売している川嶋さんの煎茶は、政所らしさをしっかりと持ちつつ、どこか肩の力を抜いて楽しめる素朴な魅力に満ちています。

そのあと小椋さんのお茶を飲みますと、川嶋さんのものとは正反対に、鬼気迫る執念をさえ感じるようなおもいがしました。その香りは他が並ぶことを許さず、形容する言葉を無くしてしまったほど。

その後ほどなくして、小椋さんに会わないかと山形さんからうれしい提案。そうして叶ったのがこのたびの訪問でした。

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到着するとご夫婦で温かく出迎えてくださり、さっそく家の中へ。築100年以上経つという家屋は古びた様子をまったく見せず、磨き上げられた木の美しさを家中にきらめかせていました。

小椋さんはさっそく、君ヶ畑集落のお茶のことから自らのお茶作りまでを丁寧に、そして情熱的に語ってくださいました。上の写真に写っているのは、過去数年の茶畑の農作業を細かく記録したアルバムです。

この家の初代であるお爺様が開墾したという茶畑に植わっているのは、やはりこの地域らしく在来種。薬品を使用せず、落ち葉やススキ、牛糞など有機肥料だけを使用して栽培管理しています。

小椋さんのお茶づくりの転機となったのは、ライターである飯田辰彦さんとの出会いでした。静岡県出身の飯田さんは、昔ながらの日本茶の香りを支えた「萎凋(いちょう)」という工程の重要性を著書で伝えています。これは、摘んだ葉を時間をかけて萎れさせることで、茶葉のわずかな発酵を促し香りを高めるプロセスです。現代、日本の煎茶づくりにおいては萎凋を意図的に行うことはほぼありません。

しかし政所では代々、自然に萎凋を行なってきたそうです。小椋さんの家でもそれは変わらず、しかしその作業を「萎凋」と呼ぶとは知らなかったと奥さんはいいます。摘んだ葉を家の板間に薄く広げて風通しをよくしておき、ときどき撹拌しつつ一晩を過ごすのです。

もともとやっていた作業でしたが、より意識して香りを高め品質のよいお茶とするために、5年前から小椋さんは試行錯誤して萎凋に取り組んでこられました。

「最初の年、ほんまにええのができた。やから『こんなん、簡単なもんや』と思ったんやけんど、そうはいかんかった」

温度管理や風通しの具合など様々に試行を重ねました。うまくいくと、その部屋だけではなく、家中のいたるところにその香りが届くのだといいます。「ハーブのような香り」と奥さん。

そうして香りの高まった茶葉は共同製茶工場に運ばれて、地域のみなさんの手で、家ごとに茶が混らないよう分けて製茶されます。

武さんによれば、「香りのええとき、粗揉機から出たお茶の香りが、精揉機のあるところまで届く」そうです。この2つの機械はかなり離れたところにあるので、びっくりするような話。

このお茶がまさに製茶されているそのとき、山形さんもまた工場にいました。小椋さんのお茶が担当箇所に流れてきたとき、先輩からこう言われたそうです。

「ええ茶や。よう見とけよ」

武さんも茶工場で製茶の仕事を受け持っておられました。しかし後身に譲るとして、今シーズンで工場からは引退なさったのです。

最後のロットを加工し終えたとき、武さんが脱帽して製茶機械に向かって深く一礼するところを山形さんは目の当たりにしました。彼女の胸には、そのときどんな気持ちが湧いたのだろうかと想像します。

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今年はとてもうまく仕上がったと武さんも自信たっぷり。「ものをつくるというのは、ほんまにおもろいで」。

「畑は、預かりもの。次に渡すために欠かさず手入れしておきます。自分の代でこの茶畑を小さくするということはしません」と語る武さん。彼は自分の畑という感覚ではなく、手渡され、預かり、そして次に繋げるものであるという考えで茶と向き合っています。

その考え方は、並行して営んできた林業でも垣間見えます。「樹は、自分が植えたら、子が育て、そして孫が切る。そういうものです」といって、50年前に植えたという立派な杉の写真を見せてくださいました。

ご自宅も、同じです。いつご子息が戻ってきてもよいように、よく手入れされているのです。「いまはみんな街へ出ていくような時代やけど、いずれ、山のよいときが必ず来ます」。

そんな武さんは、茶畑の様子を見にいくのが日々の楽しみ。「用事がなくても、『今日も元気か』って、お茶のご機嫌伺いに行くんです。山も茶も、親方の足音が最大の肥料なんですよ」

そんな話をしつつ、武さんは君ヶ畑集落の案内をしてくださいました。その足取りはどっしりと重厚で、集落を守ろうとする気概に満ち満ちているのでした。

「君ヶ畑のお茶こそが政所茶の質を支えてきた。そういう気持ちでつくっています。昔はこの集落だけでも3軒の製茶工場がありました。他の集落の茶も集まる政所茶の共同販売会では、農協に売りに行ったお茶を箱に残したまま君ヶ畑に帰ってくることは恥だとされていたんですよ」

※現在、政所茶の製茶工場はJAが操業する1箇所だけになっていて、ここに全集落のお茶が集まる。

少量だけ作られた今年の煎茶を、当店にも預けてくださいました。

これこそ煎茶の勘所だと膝を叩くおいしさ。もはや冗長な説明を必要としないその力を、ぜひご堪能いただきたいとおもいます。

この地のお茶は、正月のころに熟成が進みおいしくなるとも伝えられています。少しだけ取り分けて寝かせておき、新春をともにするのもよいかもしれませんね。

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手摘み煎茶「君ヶ畑」

滋賀県 東近江市 君ヶ畑町

小椋 武 作

在来種 無農薬 無化学肥料

2,980円 40g入

2020/08/25

発酵番茶 / お百姓さんの健やかな茶

こんにちは。

奈良県都祁(つげ)の羽間さんから、在庫がわずかだった発酵番茶を追加でお届けいただきました。このお茶は、「わざと大きな葉で作った紅茶」です。

摘んだ葉を、人気のない山道に敷き詰めます。数日かけて何度かかく拌し、空気を通します(ほかの農作業もあるので夜中にするときも!)。葉は萎れますがこのときによい香りが生まれるので、欠くことのできない大切な作業です。そして工場に持ち帰り、しっかりと揉み込んでから発酵を促し、乾燥させて完成。

ただいま販売しているのは、昨年の夏に作られた在来種。製造から一年が経ち、湯を注いだ際の香りは深みある蜜のような甘い芳香に変わっていました。びっくりするほどの変化です。

立ち上る濃厚な香気とは違って味わいはどこまでもさわやか。一番茶のような明るい華やかさはありませんが、一方で番茶の素朴な味わいが自然な化粧をしたような、健やかな味わいにうれしくなってしまうお茶です。

暑い夏には、ぜひ熱湯で淹れて楽しんでみてほしいと思います。お腹から優しく温まり、そして汗を少しかいたあとにはわずかなそよ風でさえも冷たく感じるほどの涼感がやってくるでしょう。熱い茶と涼しさは相反するものだとおもわれるかもしれませんが、お試しを。

そもそもこのお茶の出会いは、まだお茶屋になる前のこと。あることがきっかけで購入した彼の発酵番茶が家にちょうど届いたその日、私は風邪で高熱を出しており飲み食いがままならない状態でした。ちょうど家族が外出しており家でひとりで伏せっていましたら、配達員の方がお茶を持ってきました。

そんなときでも初めてのお茶となればふらふらの状態でも飲んでみたく、湯を沸かして何気なく飲んでみたら、不思議なことに私の体は「もっと飲め」と言わんばかりに欲しがったのです。何も食べられず、飲み物もあまり飲めなかったのに、このお茶だけはすとんと体に入りました。理屈は置いといて、ともかくこのお茶だけはいくらでも体に入りました。

その体験がきっかけで羽間さんとのご縁もできたのです。そんな食べ物や飲み物が、みなさんにとってはあるでしょうか?あるよという方はまた話を聞かせてくださいね。

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さてこのお茶は、羽間さんだからこそ作ることができるお茶だといえるでしょう。米と野菜とキノコ等もつくるお百姓さんである羽間さんは大忙し。彼の家にはガスが通っておらず、自給自足の暮らし。多様な農作物のスケジュールと変わりゆく天候の合間を縫うようにして、そのときそのときにできる仕事に取り組んでおられます。

だから、お茶をつくるにしても羽間さんは決して無理をしません。農薬と肥料をまったく使わない羽間さんのお茶ですから、まずお茶の体力を第一に考えて毎年作るということをせず、2019年はたしか3年ぶりの製造でした。

そして作るにしても、決まったときにできるわけではありません。できるときに、お茶の状況をみながら作るのが羽間さんのスタイル。見てくれも味わいも業界的な市場価値にはとらわれず、それとは距離をおいたところで光を放っています。わたしは、類まれな価値が彼のお茶にはあるとおもっています。

番茶でつくる紅茶というもの自体が、まずそこらでお目にかかるものではありません。どうして緑茶ではなく「番茶の紅茶」にするのかといえば、羽間さんの農業のスタイルに合うのがこのやり方だからなのでしょう。商業的に緑茶をつくるなら、一般的にはそれなりの規模の加工場が必要です。ところがこのお茶なら、製造量にもよりますが巨大な設備がなくても作ることができます。だから羽間さんは、森の中にある山道をも利用しつつ、経済的にも無理なくできるやり方でお茶と関わろうとしておられるのです。

自然の摂理に対して慎しみ深い理解があり、そして既存のやり方にとらわれず遠慮しながらお茶と接することのできる羽間さんだからこその仕事だと私はおもいます。

いつも目を細めて笑っておられる朗らかな羽間さんは、そのようなことをわざわざ口にすることもなくただ優しく田畑や森と関わっておられます。ありのままの放任した自然にこだわるのでもなく、また逆に必要以上の負荷をかけることもなく、あるべき調和というものを長い時間をかけて探っておられるように感じられます。

だから、このお茶には羽間さんの哲学がぎっしりと詰まっているようにおもわれてなりません。

お茶は人をあらわす鏡だとおもいます。そのことを羽間さんもしっかりと伝えてくれているのでした。