2021/09/04

葛藤とともに歩む / 小﨑 孝一さん / 熊本県 山都町 倉津和地区

 


生産者の話

小﨑 孝一さん(熊本県 山都町 倉津和)

販売開始以来、たいへん好評。「倉津和釜炒り茶」の生産者である小﨑さんのことをご紹介しましょう。この記事は2020年12月にご自宅を訪問して伺ったお話を起こしたものです。


小﨑家と地域の茶業

小﨑さんは、熊本県の山都町にある「菅尾共同製茶工場」の工場長を務めています。菅尾地域の生まれ育ちですが、一時期は大阪の堺で中学校の教員を務めていたこともある経歴の持ち主。彼の話しぶりは論理的で淀みなく明瞭。聴き入ってしまう魅力があります。

小﨑家が茶業に乗り出したのは戦後。お父様が地域の営農指導をしていたこともあり、その知識を生かして自宅に茶樹を植えたのがはじまりです。

この地域ではお茶づくりといえば昔から釜炒り製。現在全国的に主流の蒸し製煎茶は、蒸気で茶葉の酸化酵素を失活させ酸化発酵を止めるもの。一方の釜炒り製は鉄釜の熱により「蒸し炒り」のような環境をつくり酵素反応を止める手法で、煎茶以前から存在します。釜炒り製は、加藤清正が朝鮮半島から職人を連れてきて製造させたことが原点だと一説にも言うように、もともと国内にあった作り方ではなく、大陸から輸入されたものです。

小﨑家のお茶は、ほど近い矢部地区の茶商や学校、そして生協などと多くの取引がありました。しかし時代の流れとともに取引量は減少。その間にペットボトルのお茶も台頭しました。さらには、釜炒り茶の名手だと地元でも名高かったF家が蒸し製煎茶に転換したことは決定打でした。菅尾製茶工場でも「これからは新しいこと、今までとは違うものをつくろう」という気運が高まります。工場にふたつあった釜炒り茶の製造ラインのうちひとつが煎茶用に作り変えられたのは平成10年のこと。

この地域は伝統的に釜炒り茶の生産地。小﨑さんが昔ながらの釜炒り製を維持しつつも煎茶づくりに着手したことは、資本主義的な潮流に抗うことの難しさを感じさせる出来事だと感じられます。そのような私の一方的な思いとは裏腹に、小﨑さんは「新しいことをするのはおもしろいし、蒸しにすることで苦はなかったですよ」と言います。このような生産者の気持ちの機微は、「釜炒りが減っている」という全体の流れを見るだけでは知ることができません。これを知っただけでも価値のある訪問だったと感じます。

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余談… 九州といえば、「グリ茶」をご存知の方もいると思います。蒸し製玉緑茶とも呼ばれるグリ茶は、煎茶の製造工程のうちピンと伸びた直線を生み出す「精揉」という工程をあえて省いたお茶で、見かけ上は釜炒り製のような勾玉状。菅尾は、蒸し製のお茶づくりを始めた当初からグリ茶ではなく、精揉工程を経る煎茶を製造しました。近隣の花上地区でもすでに煎茶を製造していたため、これにならってグリ茶は作らないことにしたそうです。


よい釜炒り茶とは

現在、小﨑家の製造量は煎茶が釜炒り茶を上回ります。しかし私に淹れてくださったのは、釜炒りのお茶。それについて小﨑さんは特に説明をしませんでしたが、彼の本心はその1杯に現れているように感じられてなりませんでした。

小﨑さんは、釜炒り茶には品種茶ではなく在来種が向いているといいます。在来種はひとつひとつのお茶の遺伝形質が違い、自然なブレンドを経て多層的な味わいを持ち、またサラっとした飲みやすさもあります。(小﨑さんの茶園には在来種がないので、当店では「やぶきた」を使用したものをお預かりしています)

家が茶業を始めた当初は自園の茶葉量が少なく、よそから生葉を買って製造することもありました。こうした茶葉のなかには、ほぼ手入れされていない畑のものがあり、肥料を使わず、葉も青々とした緑というよりは黄色をしていました。一見して貧弱かと思えるそのようなお茶のなかに、とびきり香りがよく美味しいものがあったと小崎さんは回想します。

「肥料を入れると香りを無くすんじゃないかと思います」と彼が語ったことに私は驚きました。今でこそ、肥料由来の強すぎる「旨味」ではなく、香り本位のお茶作りに挑戦する生産者は多くいますが、小崎さんのように早くからこのようなことに気がついていた感覚の持ち主は類稀なのではないでしょうか。あるいは、昔はそんなことは当たり前だったのかもしれません。

小﨑さんは、岩永智子さん(川鶴釜炒り茶の生産者)のお父様である博さん(故人)と親交が深かったようで、博さんのある言葉を回想します。それは、「よか茶を作りたかったら、茶を摘むな」。

生産性重視の栽培から香りのよいお茶はできないという意味で、小﨑さんは「今になってお父さん(博さん)の言葉がよくわかる」と言います。商売としてお茶を作り、市場に流して販売していくためには、ある程度の量はつくらなければならない。そのためには肥料を一定程度使用して茶樹に養分を補給し、年に何度かの摘み取りに耐えられるようにする必要があります。

しかし、近年の審査基準では釜炒り茶でさえも「旨味」や「外観」が重要。昔ながらの外観や香り高さは最重要ではないのです。とはいえ、施肥量が過度になれば香りの発揚を阻害してしまう。※香りやオリジナリティを評価しようとする品評会もあります

おいしいお茶は肥料少なめがいい。しかし市場価格にあわせた生産量で食べていくためには生産性が伴っていなければならず、しかも審査基準もそれに沿ったものになっている。ここに、小﨑さんの葛藤があります。

市場で評価され売れるお茶とは例えば、青々とした水色、冴えた緑の茶葉、そしてこってりとした旨味ののった味わいです。ところが釜炒り茶の伝統的な姿とは、水色は黄色で時にほのかに赤っぽく、茶葉はやや白みがかっており、旨味ではなくさっぱりとした香りをたたえたもの。

あるとき小崎さんは、ごく一部のお茶だけは肥料を与えずに育てて販売しましたが、このお茶は市場で買われるものではありませんでした。

もちろん、肥料が悪者であるという話ではありません。要はバランスで、たとえば日野の満田さんはぜいたくに油かすなどを施肥してお茶にしっかりと味をのせています。もちろん肥料は、味だけでなく収量も左右します。彼は「無施肥はうちの畑には合わへん」と言います。



葛藤とともに歩む

小﨑さんは33歳でお茶づくりをはじめ、今年70歳(2020年現在)になられますので足掛け37年間もお茶をみてこられました。そのなかで、自分がおいしいなと思うお茶と、市場が求めるお茶とのギャップに悩みつつ、今日まで釜炒りのお茶を無くさずに存続してこられました。維持することは容易ならず、ただ感服するばかりです。

彼のお茶は、ある意味で彼の葛藤をそのままに表したかのような味わいを持っています。1煎目では、当店で扱っている釜炒り茶としては強く肥えの効きを感じさせる味わいが表に出ますので、彼が市場価値を意識してお茶を作っていることを否応なしに感じさせます。しかし丁寧な肥培管理を感じさせる無理のないおいしさであり、簡単に言えば「さっぱりと旨いお茶」です。

ところが肥えの雰囲気は2煎目から抜け、突如として釜炒り茶らしい「釜香」が顔を出します。この香りをきちんと感じるためには、最初の炒りだけでなく仕上げに至るまで各工程の丁寧な調整が必須であり、寡黙な小﨑さんの技術が余すところなく生かされています。この釜香はさらに煎を重ねてもなかなか衰えません。



抑揚は少なめに、とつとつとお話をされる小﨑さん。内面的な思いの強さを感じるようなお人柄であり、彼が釜炒りのお茶から無くしたくないと願っている核心部分は、やや控えめにではあってもきちんとそのおいしさのなかに残っています。

釜炒り茶がたどってきた時間の流れを追いながら味わうと、葛藤とともにある彼のお茶はたいへんな人間的魅力があり、ドラマティックであるとすら表現しても差し支えありません。

何気ない一杯に、ひとりの農家のかけがえのない気持ち。直接お会いしてお話を聴かなければ捉えきれなかった彼の気持ちを、これからは皆様にも少しずつ手渡したいと思います。

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倉津和釜炒り茶

小﨑孝一 作 / 熊本県山都町倉津和

釜炒り製緑茶 やぶきた種 無農薬 有機栽培

¥980 / 80g

オンラインストア

https://chaokamura.base.shop/items/39507213

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