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2021年6月29,30日
岡村商店のプレオープン。はじめてお店にお客さまをお迎え入れした二日間が終了してから、一日が経ちました。内容を踏まえてオペレーションを調整しつつ、7月4日の本オープンまでいったんお休みとします。
さてプレオープン中は、自分たちの空間であるのに、体がそこでの動きに慣れておらずアタフタしっぱなし。それでもひっきりなしに、これまでお世話になった方々や、工事の様子をずっと見てくださっていた方がご来店くださいました。前日からお花のアレンジメントや素敵な鉢植えが山ほど届き、言葉にならない気持ち。いつまでも眺めていられます。
何度も頭のなかで繰り返した動き方も、実際にお客さまが店内に入っていろいろと注文をくださると、すべてが吹き飛んでしまいました。そんなに単純にはいかないものですよね。
週末に本オープンを控えた今日は、改めてこのお店ができるまでのことをざっと振り返ります。初心は大切!
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私はもともとお茶が好きで、実家でも祖父母宅でも急須で何気なくお茶を飲んでいました。こだわりはなくて、緑茶なら何でもよかったのです。コーヒーよりは日本茶、でも和菓子よりは洋菓子という子どもでした。
母方の祖父は徳島県つるぎ町の山奥にある家賀(けか)という集落で育った人で、自家用茶を皆で作ったと話していました。10代に京都へ移り住んで工務店を仲間と立ち上げた祖父。結婚してから大阪の高槻市淀の原町に住まいを移し、亡くなるまでの長い生活の場となりました。10年ほど前に心臓を悪くしてからは徳島に帰ることもむずかしい状態に。それでも田舎の話ばかりする祖父だったので、気の毒になり私ひとりが代わりに故郷を見に行くことになったのです。
祖父の生家は長年空き家ですが、その隣人は健在。私の急な訪問を快く招き入れてくれました。そこで出会ったのが、家賀集落のお茶でした。「田舎のお茶がいちばんうまい」と話していた祖父の言葉を思い出しながらいただく煎茶は格別の味わいで、さながら幼少期の祖父と自分が、時間を超えて繋がるような思いがしたものです。決して上品な味わいではなく、がぶがぶ飲めるような素朴なものでした。でも、今まででいちばんおいしいお茶はなんだったかと問われれば、迷わずこのときの煎茶だと答えます。お茶は、ベロと鼻、そして心で飲むものです。
帰り際に高齢化の激しく進む家賀集落を眺めると、胸を打たれるような思いがして涙が止まりませんでした。ここが自分の故郷なんだという気持ちが溢れて、自分の命は両親と祖父母だけでなく、本当にたくさんの人びとの生活を礎にしているのだと感じ入りました。
お茶と深く関わるようになったのはそれからです。しかしお茶屋めぐりをしても満たされない気持ちを抱えた私は、平日はふつうに務める傍らで、週末になると農家のところへ足を運ぶのが趣味になりました。お茶の味わいはもちろんのこと、作っている人がどんなことを考えながら農業をしているのかに興味があったからです。
やがて、農家たちの生き様やものの考え方を皆に知ってほしいなと願うようになりました。ちょうど仕事を変えたいと思い始めた頃と重なり、すでに結婚していた妻の力強い後押しがあって2017年に起業。「にほんちゃギャラリーおかむら」という名前で無店舗のままお茶を農家から預かって販売してきました。どこの馬の骨ともわからぬ男がお茶を売っていることに多くの方が呼応してくださって、今日まで生活をつないでこられました。
その傍らで妻は2018年から「岡村包子研究所」という名前で月に何度か中華まんをつくってイベントに持っていくように。これが瞬く間にお客さまの好評を得て、いつしか一緒にお店が出来たらいいのになと思うようになりました。でも簡単には物件に出会うことができません。あれこれ内覧をしに行きましたが、直感的にこれだと感じる場所がありません。
長岡京市の写真スタジオSTU:L(スツール)を営むカメラマンの竹内靖博さんは、いつの日だったかこう言っていました。「焦らなくても、本当にあるときになって突然、これだという場所に出会えるよ」
その場所は、私のいつもの生活圏内にあったのです。地元の島本町、その水無瀬駅前にある商店街。純喫茶「槇珈琲店」は1970年からこの地で営業していましたが、2019年に店主の体調を理由に閉店。私はときどきここでココアを飲むのが好きだったのですが、店主の新田さんから「ここで店をするか?」と提案をいただきました。
長いこと踏ん切りがつかなかった私たち夫婦ですが、店がないままずっとやっていくことに不安もあり、自分たちのカラーを出せる拠点を持とう!と決心したのが去年の秋ごろ。融資を申し込み、出来るときに一気に改装工事をやろうということになりました。
工事は4月にはじまり、6月中頃まで。子どもたちも、毎日いらっしゃる大工さんをはじめとしていろいろな職種の職人さんたちと会うのを楽しんでくれました。あれよあれよで工事が進み、とうとうプレオープンを迎え、それすらも過ぎたことになりました。
本当に、時間の経つのはあっという間です。信じられない。
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妻の紀子は、私の起業から今日までを、思い切りのよい決断力でもっていつでも味方になってくれました。「うん、うん」と小さく頷きながら、どんな話題でも嫌がらずにいつでも聴いてくれたことでどれだけ救われたでしょうか。大きな出費があるときは「意味のあることなら、やったらええやんか」と言っていつでもGOサイン。気の小さな私とは大違いで、気丈な人です。
お茶とは関係のない仕事も、地域内のありがたいご縁を頼りとして色々とこなしてきました。とりわけ、知的障害のある方の生活支援をする福祉の仕事には今も世話になっています。
毎日変則的なリズムで私が出たり入ったりする生活は、家族にとって楽とは程遠い状態でした。
それでも妻は、私に対して感情的になることが全然ありませんでした。もちろん私はこのことを美談として書きたいのではなく、妻が常に味方でいてくれたこと、ずいぶんと気持ちに甘えさせてもらったことをいつまでも忘れてはならないという思いから、ここに書き残しています。
これからは同じ屋号のもと、力をあわせて仕事をします。楽ではないけれど、妻をはじめとしてたくさんの方々への感謝の気持ちを感じながら日々を過ごせること、とても幸せなことです。
こつこつと改良の重なってゆく妻の包子と甘味。その変化が楽しみですし、この町の方々や、もっと遠くから来てくださる方々が妻と仲を深めていくところを見届けられたらいいなと思っています。
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