2021/10/02

レビュー

お店をしている以上は避けられないこととして、いつなんどき、誰がどのような形で自分のお店に対するレビューを発信しているのか予想もつきません。

鉄の心臓を持つ人ならばまだしも、私は人目がとても気になるし、どんなふうに自分たちが提供しているものについてインターネット上で話されているのかが不安でたまりません。たとえばグーグルの口コミ評価は星5つが満点ですが、おそらく喜ぶべき「星4」でさえも「星5にならなかった理由」が気になって仕方がありません。買ってきたばかりのハムスターみたいに気の小さい人間だといえば、そうなのでしょう。

夜、布団のうえで「ひとり反省会」をしていることもしょっちゅうです。「あのときのあの表現、違うほうがよかったな」など、思い出してはモヤモヤ…そのまま携帯を取り出して「ごめんなさい」とメッセージを送る。そんな人はひょっとしたらたくさんいるのかもしれません。

そんなだから、不特定多数が目にする可能性のある場で誰かのレビューを書くときには、とても気をつけています。そこで書く意味のないことは言葉にしません。自分が相手に対価を払ったからといって、どのようなことでも世間様に向けて書いてもいいとは到底思えないのです。

レビューはなんのためにあるのでしょうか。私は、「そのお店の人が目にしたときに喜んでほしいなと願って書かれたもの」であるべきだと考えています。ある日なんとなく目にして、ぽっと気持ちが温かくなれるような、血の通った温もりある文章です。

批判・改善すべき点の羅列は、余程の場合でなければサービスの提供者に対して直接伝えるべきことだと私は思います(むろん、中傷はいけません)。相手はスクリーンではなく、その向こうの人間であることを思えばなおのこと。負の感情を強く帯びたメッセージは、使い方を誤れば誰ひとり得るものがなく、ただ虚しいばかり。

「いやいや、行くべきでない店を事前にフィルタリングできて、いいじゃない」という意見もあることでしょう。でも、どこの誰がどのような立場から書いたのかもわからない文章をもとにして、成るべく効率的に時間とお金を遣っていこうとする意識は、私は間違っていると思います。同じ理屈で、好意的レビューも参考程度に。おいしいかそうでないか、人となりが好きかそうでないかは、他所様ではなく自分が決めることです。

そこまで簡単に人のことを信用してはならないし、そうでなければ逆に信頼関係を築くことも難しいのではないでしょうか。

自分の足で店まで行って、先入観と期待を捨て、ストレートにお店のあれこれを体感すること。できることなら店主さんと話し、店をつくるのはモノではなくあくまでも人であることを再確認する。なんだかストイックな響きさえ帯びてしまいますが、それでこそお店の世界観を楽しむことができます。目に見える形でも、見えない形でも。

たとえ期待と違っていても、すぐさま批判的な態度で思考するよりは「なんでこういうふうにしたんだろう」と考えてみるのは楽しい時間です。店主さんの人となりや店全体の空気感も含めていろいろ考えると腑に落ちてくるものがあって、とくに個人が営むお店であればたくさん発見があるのでメモが止まりません。(これいいな!と思ったらぜんぶメモして帰ります)

そういうふうにして過ごした時間のあと店を出ると、来るときとは土地の空気がずいぶんと違って感じられるから不思議です。店と自分との小さな関係性がたったひとつできただけで、その土地のことを何だか好きになる。それってすごく素敵なことだし、連鎖して新しい出会いが続くかもしれません。

こうして積み重ねていく体験の集まりは簡単にはレビューにできません。当の本人にしかわからない感慨をともなうものだと思います。人に伝えようとしてもうまく伝えられなくて、自分だけは心底その気持ちがよくわかっている。もどかしいですが、なんでもかんでも共有することが可能であるかのように思われる今日という時代においては、大事に温めてあげたい気持ちです。

でももちろん、「この伝えたい気持ち、なんとか言葉にしたい!」という人の絞り出すような文章も、私は大好きです。そういうところなら一度は行ってみたいなあと思ってしまうし、人情ってものだなあとしみじみします。

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