2020/06/23

2日目

いよいよ今日から満田久樹さんのところで仕事が始まった。

6時に目を覚ましてゆっくり朝食をとり、8時の始業にあわせてアパートから満田さんのところへ向かう。文句なしの晴天。通勤ルートは日野の昔ながらの商店街で、旧家がたくさん立ち並ぶ。

よろしくお願いします、と久樹さん。「じゃあ早速やけんど」と手袋と大きな紙袋を手渡され、家の前にある茶畑で草引きにとりかかる。

※改めて紹介すると、ここ満田製茶は久樹さんの祖父が開業し、その途中で無農薬に転換。およそ30年が経過している。また自園自製のお茶だけではなく、祖父の代まで続けていた陶器屋の稼業のノウハウを糧に、茶問屋としての業務も行っている。

除草剤を使わないので草がよく生える。やっかいなのは笹と蔓植物だ。笹は簡単に引き抜けない。蔓は茶の樹にからみつきながら伸びているのでとりづらい。

とりわけ満田製茶をここ数年悩ませているのは、ヤブガラシという名前も恐ろしげな蔓植物だ。これが茶の根本から伸び、畝の上に這い回っている。

まず表面の蔓をばりばりと剥がし、次にかがみ込んで地際から引き抜く。ヤブガラシは地下茎が地中に広がっているので引き抜くだけでは根絶できないが、範囲が広いのでひとつひとつ処理することはできない。地表面にあるものを取り続ける。

かがむと、背中に後ろの畝の枝が刺さる。

それを淡々とやり続ける。

ところで日野は町長選挙が近いため、候補者が街宣車で走っていて、中身のないこと(ごめんなさい)を大きな音で放送している。端的に言ってうるさいが、ばりばりと蔓を剥ぐだけの作業にとって気晴らしになる。

途中、久樹さんが「これ」といって冷えたお茶のペットボトルを持ってきてくれた。そのへんに売っているやつだ。すでに滝のように汗をかいて水分を失っていた僕は、どんな高価なお茶よりもそのペットボトルの茶がうまいと思った。

風が吹いて、通気性のいい長袖が吸った汗を冷やす。

10時に休憩となった。事務所で菓子とお茶を飲む。仕上げ加工の一部を省いた荒茶をやかんで煎じて井戸水で冷やしたものだ。夏に満田製茶を訪ねる人はこの1杯にありつけるかもしれない。僕はこのお茶に出会って、「日野荒茶」を販売させていただくようになった。いまでは看板商品だ。

久樹さんは入札のため出かけており、ご両親とパートのNさんと休憩する。お母さんは物腰のはっきりした女性で、お父さんは眼差しの深い老練な語り口の人物だ。ご家族と話ができるのは何ともうれしい。そこで交わされる話の多くは販売の際の売り文句のもとになるものではなく、あくまでも何でもない会話だ。僕と彼らの間柄のことだ。

お父さんが、ここの在来種のはじまりについて話してくれた。

「父親が滋賀の長浜や京都の宇治の種苗屋から種を仕入れてきてね。牛に畑を耕させて、そのあとからついて種を播いとった。僕が小学生のときやった。当時は在来種が当たり前やったよ。戦争のあと食料難ということで収穫量が多いやぶきた種が奨励されたけんど、僕は在来の方が好きやね。やぶきたもおいしいけども…」。

お父さんも久樹さんと同じくして在来が好きなのだ。

しかしお父さんは久樹さんに茶業の主導権を譲るときに「やぶきたに植え替えようか」と提案していたことを、飯田辰彦さんのリポートでかつて読んだ。様々な理由があって在来種は商業的に不利であることをお父さんはわかっていたからだ。(在来種の流通が現在では非常に少ないことがそれを物語っている)

久樹さんはその提案を拒否した。そして今もおじいさんが育てた在来種は健在なのだ。

お父さんは、ほっと安心するとともに、前途を心配したかもしれない。親子の心の機微を感じるような話だ。

休憩を終えると、お母さんは僕の持っていたペットボトルを指して「それ美味しくないでしょ。捨てて、やかんのお茶を移してあげる」と言ってくれた。

12時に仕出の弁当と味噌汁をいただき、少しだけあたりを散歩してからソファでうとうとした。事務所に入ってくる風が例えようもなく気持ちよく、家族はどうしているだろうと考えながらまどろんだ。

昼、草引きを続ける。どんどんと気温が上がり、ゴム手袋のなかに汗がたまっているのがわかった。脱ぐと汗がどばっと落ち、自分でもびっくりするくらいだった。生まれたばかりの赤ちゃんみたいに手がふやけている。

午後3時ごろ、日照のピークだ。こうなると何も考えることが無くなり、無言の草引きマシーンになった。草にしてみれば僕はターミネイターだった。

あれやこれやといつも小難しいことを考えたりするのは、結局のところ余裕があるからだ。こうして農作業をしていると、理屈などどうでもよくなってくる。そしてそのような精神状態に置かれることを僕は有り難いと思った。汗と手袋と草だけの世界に没入する。

再び休憩となり、ミニサイズのスーパーカップが配られた。無茶な動き方をすればたちまち熱中症になりそうな僕にとって、最早それはカロリーを補給できる食用保冷剤だった。

それから僕は久樹さんの運転するトラックに同乗して、茶の仕入れにご一緒することになった。とある製茶場まで運転すること1時間くらい。車中、久樹さんとあれやこれやと話をする。

彼は理屈も大切にする人だが、素直な感覚をもっと大事にする人だ。「理屈だけではあかんねん。素直な気持ちで向き合って、お茶を見られるようにならなあかんよ」と彼は言う。

到着すると、そこには数百キロの番茶が用意してあり、それを2人で積み込んだ4トントラックは満載になった。急に使った肩が悲鳴を上げた。

帰着したのは6時半。カブに乗ってアパートに帰り、塩分の多い食事を摂った。味噌汁、塩鯖、糠漬け。塩分控えめがもてはやされる時代だけれども、いまはそのときではないと身体が言っている。

食後、爪切りがないので平和堂に買いに行く。それから98円のバナナを朝食の足しにするために買った。ほとんど往来のない通りをトトトと走り、電池が切れかけの身体に鞭打って、この記事を書いている。

寝ろ、寝ろ、寝ろ、明日もあるから

とまぶたが言う。

ちょっと待って、この生活を記録しておきたいから。そしてお客さんたちにこの空気の1%でもいいから感じてほしいから。

どこまで伝わるかはわからない。お茶の好きな男が汗を書くだけの話に誰が共感するだろうか?でもそれをやめてはいけない。言い続けるのだ。言葉の先は空虚か、それとも誰かの聞き耳か。

窓の外ではカエルが命を尽くしての鳴き声をあげている。彼らには今しかないからだ。

それは僕とて同じだと思うと、カエルが同志のような気持ちになってきた。

2020/06/22

出稼ぎ始まる

今日から、滋賀県日野町で約1ヶ月の生活が始まった。

「6月くらいにですね、1ヶ月くらいこっちの仕事の手伝いを頼めませんか」と満田さんから電話があったときは、まだ春だった。満田さんは当店ではもうお馴染み。日野荒茶・日野焙じ茶・粉末緑茶の生産者だ。

家族に相談させてくださいと答えはしたものの、心の中ではすでに荷造りを思い描いた。まるで遠足前の子どもみたい。でも、これは仕事だ。それでもそんな気分になれる仕事って何て素晴らしいのだろうと思う。

仕事とそれ以外の境界が限りなく見えにくい。僕はそれでいい。いろいろ折り合いはつけながらだけど、心の向かおうとする方向になるべく素直に生きている。オンもオフもない。

さて今回の研修、というか出稼ぎは、「満田茶」のできるプロセスの一部を、そして生産者がどういう顔をして、何を考えながら働いているのかを間近で見続けることのできるまたとないチャンス。雇い入れていただけることになったので、金銭的にも安心できる。

妻に相談をした。彼女は「それなら行ってこい」と即答してくれた。このような機会がどれほど私の仕事に大切であるか、そしてリアルな言い方をすれば、生産への理解がいかに稼ぎに直結するかを理解してくれているからだ。

僕は、彼女がパートナーで居てくれることを誇りに思う。

月日の流れるのは早く、必要な荷物を事前に送り、そして出発の日、つまり今日を迎えた。幼稚園へ登園する娘を見送るまでに何度抱きしめたか分からない。彼女の誕生以来、こんなに離れるのは初めてなので寂しい。

「これを持っていっていいよ」と、今までに彼女の描いたものの中からお気に入りをいくつか選んでくれたので、鞄に忍ばせる。こちらの生活でのお守りだ。これは根っこのしっかりした茶の樹の絵。

息子はまだまだおしゃべりが始まった段階。しばらく僕が居なくなるということをたぶん分かっておらず、元気にいつもどおりはしゃぎ回っていた。娘には後ろ髪引かれるけれど、息子のあっけらかんとしたその有り様には、むしろ救われる思いがする。

滞在中は土日が休みなので周辺の気になる場所を訪ねてみたいこともあり、小回りのきく買ったばかりのスーパーカブで行ってみることにした。

同棲していたときからの習慣で、家を出るときに妻と小さいキスをする。言葉にならない信頼を交換する。

真新しいスーパーカブは「任せなさい!」と軽快に走る。京滋バイパス沿いにトトトと進み、たくさんの大型車両に抜かされ風圧に怯えつつ、あっという間に宇治市に入った。

茶どころとしての宇治が長年お茶を支えてきた。僕も日本茶にはまった当初、たくさんの宇治茶に接した。そして先人たちの営みが形作ったお茶の行く末のほんの小さな支流を、僕が担っている。そのことに感謝しつつ、どこにも停車せず宇治川沿いの山道を進む。

天ヶ瀬ダム。思わず停車し、無言で自然に抗っているダムを見やる。10年以上ぶりだった。ここは、実家で長く使っていたトヨタの「ルシーダ」という丸い車を買い換える日に、家族で最後のドライブをしたときの目的地だった。

その帰り道。地元のトヨタにルシーダを預けてさようならをする直前に、車内でMr.Childrenの楽曲を聴いた母親は泣いていた。あまりにも多くの家族の思い出を積んだ車だったからだ。楽しいことも、つらかったことも。

すべてのものに心が宿ると僕の親は信じていた。車にも心があった。

ルシーダばかりではなく、母親ももう居ない。居ない車、居ない人のことばかりが胸を埋め、旅の目的も忘れる。

僕のちょっとつらい気持ちを推し量って、カブの足取りが重くなった。50ccの原動機付自転車が山道の傾斜に苦戦しているだけだと言う人もあろう。それは違う。全てのものには心が宿るからだ。お母さん、そうだろう?

宇治田原を抜けた先に開けた景色は、朝宮の茶畑だ。

なんでもないような、とある道路脇のポケットのような停車スペースを通り過ぎた。ここはもう何年も前に、僕が車の中から北田耕平さんに電話をかけた場所だ。「もしもし、北田さんのことを本で読み、朝宮に来ました。いま実は近くにいます…」。その1本の電話が、茶農家との最初のコンタクトだった。

それから何年かして、僕は日野の茶農家のところでしばらく働くために朝宮を通り過ぎることになった。感慨が体を突き抜ける。

宇治、天ヶ瀬ダム、朝宮。過去を回想するようなドライブだ。

カブはそこから調子を取り戻し、軽快に走った。水口、そして日野町へと一気に山を駆け下りていく。カブにも心があるからだ。「もたもたすんな、目の前のことだけ見てろ!」

やがて日野の旧道の先に、満田製茶の看板が見えた。軒先には奥さんがいてしばらく話をする。やがて作業着の久樹さんが出てきた。「なんか痩せはった?」と聞かれたが、どちらかというと体重は少し増えている。

あらかじめ送っておいた荷物や、滞在中に貸してもらう炊飯器と掃除機を久樹さんのバンに積み込み、厄介になるアパートへ案内してもらった。

無機質な屋内と対照的な散らかり具合の我が家を思い出し、少し悲しくなる。そこで感傷を蹴散らかす、mumokutekiからの電話が鳴った。へたれの僕には最高のタイミングだ。Kさん有難う。

自炊するので近くの平和堂に買い出しに行く。地場野菜がいくつか並んでいるのを手に取り、最低限の調味料、肉、魚、卵を買った。馴染みのないスーパーは楽しい。

書店もあったので覗いたが、これと思うものを今日は見つけられなかった。買っても、疲れからきっと今日は読めないだろう。

シャワーを浴び、夕食を作って食べた。味噌汁もおかずも、ばかみたいな量をつくってしまった。米もばかみたいにたくさん炊いてしまった。

洗濯物を干した。4人分ないのでとてつもなく少なく感じる。子どもの小さいパンツを干すときに感じるチクリとした感傷もやってこない。

テレビがあるのでしばらく点けたが、どうにもつまらなくて消した。そしてこの記事を書いている。

僕は2008年にカナダのバンクーバーで留学生活を送っていた。行きたいと言ったのは自分なのに、フィリピンから来たというホストファミリーの家で一眠りして夕方に目覚めたとき、「なんでこんなところに来てしまったのだろう」と強い後悔を感じた。家族が恋しかった。当時すでに付き合っていた今の妻が恋しかった。

今夜眠りこけて明日の朝に目覚めたとき、またあのときのような気持ちが胸にやってこないか不安になる。満田さんに頼まれ、願ってもないことと歓喜してやってきたのは自分なのに。それにここはカナダではなく、大阪なんかすぐ近くの滋賀県だ。

自分はそういう人間なのだ。そこに居ない愛する人のことばかり考えてしまう。でもそんな気持ちは、日が登れば忙しさに霧散するに違いない。

...

お茶を売ったり、出稼ぎしたり、いったい君は何を目指しているのだという人もあろう。そんなこと知らないよ、というのが僕の答えだ。

大河に浮かんだ小さい葉っぱみたいに、どんぶらこと運ばれていくのを楽しんでいるんだ。

2020/05/26

油売ってお茶おいしい

 


こんにちは。当店では、近日中に滋賀県 東近江産の菜種油の販売を開始します。

それにしても、なんでお茶屋が油を?もちろん、思い付きで始めるわけではありません。今日は油の話をしましょう。


お茶と肥料

まず肥料の話からはじめましょう。お茶の栽培では、多くの場合に肥料が使われています。生育を促して収穫量を大きくしたり、収穫後の「お礼肥」といって樹勢回復を促したり、味わいをのせるために使ったり、農家の思い描くお茶によって使い方は様々です。


大別して有機肥料と化成肥料の2種類があります。片方だけを使う人、組み合わせて使う人、あるいは肥料そのものを使わない人など様々におられます。なお「有機」と言えば聞こえはよいものの、一概にどちらが優れていると言い切れるものではありません。


ホームセンターの軒先に、油かすの大きな袋が積んであるのを見たことはありますか。油かすは植物の油を搾ったあとの残りかすを処理したもので、菜種を搾った菜種油の副産物が菜種の油かすです。


政所のお茶

当店でもおなじみの政所茶は、東近江市の山奥にある奥永源寺地区で600年ほどの歴史をもつお茶です。2020年春現在、山形蓮さん・川嶋いささんのお茶を扱っています。


政所は伝統的に無農薬有機栽培を貫いており、土地の山野草を積極的に使うお茶づくりがひとつの特徴です。政所のお茶を飲んだことのある方ならば、孤高の存在とも言われるそのおいしさを、理屈ぬきに感じたかもしれません。


その理由は、政所の人々が土を大事にしてきたからです。草引きをするときでも、草の根についた土を無駄にすることなく必ず畑に戻るよう振り落とします。そうして現在まで続いている土づくりは一朝一夕で完成するものではなく、ご先祖の代から続いています。


その政所で現在積極的に使われている有機肥料が油かすです。それも、地元の東近江で栽培された菜の花を原料として製油する菜種油の、搾りかす。土地で作られた肥料を農業に生かすのは、原料の調達、物量の確保、いずれの理由からも簡単なことではありません。


政所の需要のある程度を地元の油かすでまかなえるのは、政所の年間生産量は1トン程度というきわめて小さな規模であり、大量生産とはあらゆる面において対極にある営農が幸いしているといえるでしょう。


次に、政所で使われている油かすの生産にまつわるお話をしましょう。


菜の花循環サイクル

政所に油かすを供給しているのは、地元のNPO法人「愛のまちエコ倶楽部」です。このNPOが東近江市内の7軒の農家と契約し、初夏に菜種を買い取って油を製造。このときに副産物として出る油かすを発酵させ、扱いやすい状態にしてから出荷しています。


次の図は、同NPOが看板商品としている菜種油「菜ばかり」のパンフレットで紹介している、菜の花の循環サイクル図。


地元で栽培された菜の花の種は菜種油「菜ばかり」、そして油かすとなり、前者は食用の油として利用され、後者は肥料として畑に還ります。


油は捨てるかわりに回収され粉せっけんとして生まれ変わります。そのほか再処理されてグリセリンや燃料として再生され、地元のイベント、公共交通機関、農作業用車のための燃料として使われるのです。農作業は、次の菜の花栽培へと繋がり、こうして菜の花を中心とした地元コミュニティ内の循環が生まれているのです。


この取り組みはすでに長い歴史があり、ことの発端は70年代に琵琶湖の水質が悪化して赤潮が発生したことでした。このとき県民の環境意識が高まり、廃油が湖に与える影響をなくすため地元のお母さんたちが「せっけん運動」を開始。廃油を回収しせっけんとして再生しました。この取り組みが、「愛のまちエコ倶楽部」が拠点としている旧 愛東町(現 東近江市愛東地区)でのごみリサイクル活動につながりました。


96年には、愛東町が全国の自治体としてはじめてバイオディーゼル燃料の製造に漕ぎつけ、菜の花を利用した循環サイクルの取り組みが全国に普及するきっかけになりました。やがてその拠点である「菜の花館」がオープンし、その運営者としてNPOの歩みがはじまり現在に至ります。


「愛のまちエコ倶楽部」の多様な活動は、ぜひ同団体のウェブサイトをご覧ください。

http://ai-eco.com/


このように、さかのぼれば70年代の環境問題に対する市民単位の動きが、現在の広範な活動の源泉につながっています。のどかな田園広がる愛東町の人々には脱帽ですし、そのおかげで政所に良質の肥料供給がなされているわけです。


そしていま私が「菜ばかり」を販売したいと思うのにはいくつかの理由があります。あなたに、循環の一部になってほしいからです。


お金を払えばいいものが買える。それだけの関係からひとつ歩を進め、おいしいお茶のもとになる有機肥料の供給を、おいしい油を買うという形で支えてほしいのです。


同じ思いから、昨年の秋に、滋賀県日野町の満田さんのところにお客様と赴いて「援農」の活動をはじめました。(コロナウイルスに対する警戒もあってしばらく停滞していますが)


作る者と口にする者の隔たりを埋め、両者の重なり合いを少しでも厚くする。そのための新しいチャンネルを、菜種油が開いてくれることになります。


現在、政所の需要のすべてを満たしている訳ではないようですが、昨年は菜の花が豊作であったこともあり原料は潤沢にあります。菜種油の販売が軌道にのれば、そのぶんだけ油かすも出ますので、菜種はおいしいお茶の生みの親である土に還ります。


「菜ばかり」のこと


契約農家7軒で栽培する菜の花は、国産の3品種が主軸になっています。在来種や、自然に交配させたものは「先祖返り」が進み、多量摂取すれば人体に悪影響があるとされる成分を合成するようになってしまうために、主原料として使うことはできないのだそうです。


収穫された原料は乾燥のあと「湯焙煎」という方法で加熱し、よい香りを引き出します。これを物理的に圧力を加えて油を搾り出し、不純物を取り除く工程を経てから瓶詰めして完成です。収穫から製品の完成までの間に、薬品や添加物は使用されていません。


日本で流通する菜種油は99.9%以上を輸入原料に頼っており、製油の効率を高めるために薬品を使用して油を抽出する手法が一般的です。そのため国産原料だけを使用し、化学的な製造プロセスを経ない油は非常に希少なものになっているのです。


もちろん私は、大手メーカーが取り扱う商品の是非をここで考え、あるいは貶めるような意図はありません。その恩恵に私は日々あずかっているからであり、否定からはじめる差別化はしたくありません。


一方で、日々の食卓を支えているものがどんなものなのか把握することは大切だと考えています。「把握しやすい」ものの割合を食卓に増やすべきです。誰が、何を考え、いつ、どのようにして作ったかがわかる食品ということです。


このようなものはごく当たり前に大量生産のサイクルからは外れており、そのため市販品より価格が高く感じられるかもしれません。しかし市販品の価格が「ふつう」で、そうではないものが「高い」というのは、果たして常に正しい指標でしょうか。


「菜ばかり」を搾る様子をご覧ください。これだけで全生産量をまかなっているのです。


なんだかんだと書き連ねましたが、私が菜種油を販売してみたいと思うようになった最大の動機は、とても個人的なものです。


この油をお客さんが買ってくれたら、政所にはそれだけ多く地元の肥料が行き渡ることになる。そうしたら、蓮ちゃんやいささんは喜んでくれるかな?それを見て、NPOの園田さんや財満さんのような現場の人たちはますますがんばろうって思ってくれるかな?そんな循環に関わることができるなら、お客さんも嬉しく思ってくれるかな?


ひとりひとりの顔が思い浮かびます。その人たちが元気でいてくれることだけが私の願いであって、それが叶えば私も元気になれます。


---


最後に、「菜ばかり」の味わいを。(ふつう、最初に書きますよね!)


この油はきれいな黄金色をしており、とってもサラリとした口当たりです。菜の花由来の豊かな香りとコクがあり、どのような料理にも使いやすく、かつその表情を豊かにしてくれるように感じます。きょう唐揚げを作りました。ニッコリな仕上がりです。


炒め物、揚げ物、和え物、焼き菓子に。パンにつけてもおいしく、用途はとても幅広いですよ。おいしい油って、こういうことなのかと納得。