2020/06/26

満田製茶 5日目 6月26日 / 青春

日野に来てから最初の金曜日となった。

今日も草とり。無農薬の現実はものすごく地味で淡々とした作業の連続だ。取って、トラックに積んで、藪に捨てる。その場に寝かしておかないのは、土に触れると再び根を生やして余計に殖えてしまうことがあるからだ。

久樹さんは、繰り返し言う。

「無農薬なんか、やるもんやない。こんなに往生こく(「大変」の意)ことは、人に勧められん。無農薬やからって高く売れるもんやないし。一緒にいて作業してたら、無農薬なんか生半可では無理なの分かるやろ。これが現実。今日草を取ったところに、最低でもあと3回は草とりのために来なあかん」

そのように言う本人は、30年ほど無農薬をやめていない。なぜそうしているのかを僕は知っている。(無農薬の農法を実践するにしても、様々な動機がある)

もちろん、農薬を使った農産物を避けることは個人の自由だ。そして、農薬や慣行農法に危険があるとすれば、それについて調べたり、発信することも自由だ。

でも、そこまで。せめて立ち止まって、農薬を使わないということが、現場でどのような状態を生んでいるかについて少しでも思いを巡らせてほしい。

農薬を使う農を揶揄することがあってはいけない。また、農薬を使う人が後ろめたさを感じるようなことがあってもならない。安全安心を求めようとする気持ちは、過剰になれば、誰かの安全安心を脅かす可能性がある。

有機肥料と化成肥料についても同じことが言えるかもしれない。

お茶は、おいしいから飲むものだ。無農薬だからおいしいとか、農薬を使っていると味が劣るとか、そのようなことは無い。

満田製茶は茶農家であると同時に、荒茶製造と仕上げ加工ができる工場を持つため、自園以外の原料を預かって委託加工を請け負う。それらをこなしつつ、体力と精神のすり減る問屋としての仕事もある。また地元では小売もする。すべてを、ひとつの屋号のもとに行っている。

最初から最後身体感覚で知っている茶業者が、全国にどれくらい居るのだろうか。酸いも甘いも知っていて、そして甘いことなどほとんどないと知っている業者が…。

そのような人が、時間と手間の非常にかかる無農薬栽培を行っている。端的に言って奇跡的だと思うし、そこで1ヶ月仕事をさせてもらえることは、生涯の宝物になるだろう。

それにしても、どのような農法であっても、志ある農業を実践する人々には感謝をするばかりだ。

午後は久樹さんの運転する4tトラックに同乗して、仕入れに同行することになった。どこの誰のもとにというのは内情に関わるので書かないが、それなりに遠いところだ。

まずはトラックに積んであった前日の仕入れを冷蔵庫に移す。満田製茶が借りている業務用の大型冷蔵庫だ。ひとつ30kgある袋をいくつも降ろして冷蔵庫へ。これひとつとっても、お茶のちょっと優雅なイメージが覆されるだろう。重い。

空になったトラックで軽快に走る。30年使っているそうだ。走行距離は18万kmを超えていた。

車内ではたいてい商売か食べ物の話。久樹さんと僕は食べ物の話になるととても話が合う。

僕が、インスタント麺が好きだという話をすると、久樹さんは「どれがおいしいと思うの」と聞いた。僕の答えは、「チキンラーメン」。

するとどうだろう!久樹さんは、僕がいくら彼の茶のよさを褒めちぎったとしてもやらないであろう晴れやかな笑みを浮かべた。「そうやんな。チキンラーメンうまいな!」そうして彼は満田流のレシピを教えてくれた。

そのまま自炊の話になる。

「岡村くん、料理すんの?」

「簡単なことなら。困らない程度には作ります。素材がいいと特に何もしなくてもうまいので大したことはしませんけど。そういえば、お茶を淹れるのってある種の料理やないですか。だから淹れるのがうまい人は、料理もうまいんとちゃうかって思うんですけど、どうでしょう」


「それは、ほんまにそう。ほんで、茶をブレンドするのも料理やね。茶を仕入れたら、僕はいつも『あれとこれを一緒にしたら、こんなふうになるやろな』とイメージしますねん。それをもとにブレンドする。だいたい思うように出来てる。昔、宇治の茶師からこの話を聞いたときは『何を言うてはるんやろう』て思ったけんど、今になってみればなるほど言うてはった通りやなと思うことがある。せやさかい、岡村くんもやったらええねん。オリジナルブレンド。」

「誰のお茶かわからんようになるやないですか。僕は、誰が何を考えて作ったのか話しをしたいんです。でもおもしろそうやし、遊びで個人的にやってみよかな」

「ふん」と久樹さんは小さく笑った。なんという頑固者だと思われたのなら、むしろ嬉しい。

仕入れ先に到着すると、集荷場でおっちゃんたちが待っていた。この人たちは一番茶期から休みなくぶっ通しで働き続けており、栽培、収穫、製茶工場の操業を共同でやっている。

みな年配の人たちだ。もうクタクタを通り越しているのが分かった。服は茶渋でボロボロだし、肌は真っ黒けに焼けているし、身体中が粉塵まみれだ。

それでもどこか達観したような爽やかさをたたえており、気持ちのよい人たちばかりだった。もっと話を聞きたかったけれど、もう工場をさっさと掃除して今日のところは帰って休みたいというのを久樹さんが感じ取って、早々に切り上げた。

「みんなええ人たちでしょ」と久樹さんは運転しながら言った。

労働者への底知れぬ尊敬と優しさがその言葉にはあった。自身もそれがよくわかる働き方をしているから、なおのことなのだ。

帰路の途中、「梅干マニア」を自認する久樹さんは農産物の直売所に立ち寄って梅干を買ってくれた。彼がおいしいと思うものなら大丈夫なのだ。僕たちは茶の好みも似ている。

「素朴で嫌味のない食べ物が、やっぱりええと思うねんけどな」というボソっと彼は言った。それこそ彼のつくるお茶の印象そのものでもある。

そして「岡村くんも素朴なものが好きというけれど、それはお母さんがちゃんとしたものを食べさせてくれたからなんやで。お母さんに感謝せなあかんよ」と付け加えた。僕が母を亡くしていることを彼は知っている。

油断すると泣きそうになった。


家に着いた。

久樹さんのお母さんが出迎えてくれて、「岡村さん、これ食べる?トンカツ揚げてんけど」といって袋を渡してくれた。そして「ペットボトルにヤカンのお茶足していき」といって、中身を捨てて自園の茶を注ぎ入れてくれる。

「家のご飯、恋しいでしょ」とお母さんが言う。「はい。家のご飯めっちゃおいしいんです。妻は料理がほんとに上手で。それにしても、今回の日野の滞在も許してくれて、妻に感謝しています」と答えた。

側で聞いていた久樹さん、「ほんまにええご家族や。感謝せなあかん」と言う。

ほんのちょっとずつ、満田家の日常に溶け込んでいくことに喜びを感じる。なんともいえない気持ちだ。ただただ嬉しい。

「じゃあ、また月曜日に。逃げずにちゃんと来ますからね」と言うと、「へへへ。」と久樹さんは返し、1週間が終わった。

カブはひたすらに軽快な走りをみせ、アパートへ向かう。ある交差点を左折したとき、空がぱっと晴れて真正面に燃えるような夕焼けが現れた。それは息を飲むような美しさで、同時にどこかもの哀しさも含んでいた。

すべてのものが有限だという思いが沸き起こって、哀しかった。満田製茶も僕の命も有限だ。限りのある時間のなかで、彼らの営みと重なり合うことができた運命の力を思う。

人の優しさにふれて胸がいっぱいになるのも、爽やかな労働の汗が風を受けて乾く気持ちよさも。僕が抱いているどんな気持ちも僕だけのもので、誰かにそのまま渡すことが出来ない。

でも変換して、誰かが自分の気持ちとして抱き直す手伝いをすることはできる。そうしなければと思うのは、やはり命に限りがあるからだ。

34歳の僕は、えも言われぬ美しさの夕焼けに向かって、真っ直ぐ言葉にならない気持ちをぶつけたくなった。かわりに、小さい声で「わぁ〜…」と言ってみた。

こういう気持ちは、初めてじゃあないと気がつく。それは10代のころ、嬉しいことがあったときと似ていた。好きな女の子と話をしたとか、その子が彼女になったとか、何かが切り拓かれていくときの感じだ。

もう終わったと思っていた青春が胸の底でずっとくすぶっていて、すくい上げて風通しをよくしてやれば、まだ瑞々しく輝いてくれることに気がついた。今日はその記念日だ。

また青春を生きている。

2020/06/25

日野 4日目 6月25日 / 狐草

満田製茶の期間限定社員として働くのも4日目。雨の予報だったけれど出勤時間は曇り。

8時きっかりに到着すると、久樹さんはすでに3種類の茶をテーブルの上に並べてそれを睨んでいる。

「おはようございます。岡村くん、こんなかで、ええ茶はどれやと思う」と抜き打ちテストが始まった。ちょっと待って。まだタイムカードを押して3分も経っていない。

10秒ほど考え、そのうちのひとつを指して「これです」と答えた。

久樹さんは「うん」と小さく言い、片方の口角だけちょっと上げる例の笑みを作る。正解だったようだ。

「ええ茶を見るのはほんまに難しいんです。10年かかる。10年かけて、たくさんのお茶を見続けるねん」

満田製茶は自園自製の茶をつくるのみならず、茶の問屋でもある。つまり生産者から入札で仕入れて小売店に販売している。僕はその会場に入ったことはないが、問屋と小売店がそこにやってくる。一番茶の入札は本当にピリピリしており、心の探り合いも多々あるそうだ。そのような状況のなかで、多数並ぶ見本を観察し、買いたいものに対して価格を提示する。最高額の提示者が落札する。

それは個人の嗜好を超えた価値判断だ。市場と世の中の複雑な動きを読み、なおかつ観察眼にもとづいた価格提示をする。僕がやっているお茶の選び方とは全く違う世界だ。

「茶をみる目がなかったら、騙される。狐が人を化かすことから、茶は狐草って言われるの。そういうもんやねん。茶は。」

そうして午前は草取りをすることになった。雨の降らないうちに外で出来る仕事をする。

黙々とやり続ける。ショートカットはない。久樹さんとお父さんの草の取り方を観察していると、少しやり方が違うことに気がついた。それを考えながら昼休憩に入るとき、久樹さんが言った。

「こういう根気のいる草取りみたいな仕事のやり方には、人間が出る。取ったあとを見たら、一発でわかるねん。ああ、こういう人やねんなって。草とりが1番分かりやすい」

そして彼は軽トラックのハンドルをさばきつつ、横目で僕を見た。震え上がった。今のは一般論か?それとも?

久樹さんは、仕事のやり方や、茶の出来具合をみて、その人物の内面を見抜く眼の落ち主だ。この人の前ではあらゆるごまかしが効かないと僕は心に命じた。

今日はお父さんとお茶を飲みながら2人で話をするチャンスがあり、そこで興味深い話を聞いた。

戦時中、日野出身の陸軍連隊長と連隊副長がいた。隊長はあるとき直撃弾で命を落としたが、副長は戦後も日野で商売を営み平和に暮らしたそうだ。

元副長がお父さんのもとを訪ね世間話をするなかで、お父さんは何気なく連隊長の名を出した。すると元副長は突然シャキッと居直って直立し、戦後数十年も経っていたにも関わらず、隊長の名を最敬礼のニュアンスを込めて呼んだそうだ。

戦争が彼の心に染みついているのだ。

午後、久樹さんと僕はトラックに乗って仕入れ先に向かった。

車中、彼は商売をすることについて自らの経験からあらゆるアドバイスを授けてくれた。しかし満田製茶と僕の事業は、物量がかけ離れており、気の遠くなるような数字がたびたび登場する。

そこで正直に言った。

「規模が違いすぎて、頭が付いていきません。でも、久樹さんのところのように一定の物量でお茶を動かせるところがあるからこそ、産業としてやっていけるんですね。僕のような小さな事業者にはそのような役割は果たせない。一度の仕入れで多くても10kgですよ」

久樹さんはこう応えた。

「でもね、岡村くんが出入りして、報われる人がおるねん。ウチもそう。ウチの無農薬の在来が好いって言って、買いに来てくれる。やり甲斐があります」

その言葉にどれだけ救われる気持ちがしたか。こんなに素直に言葉にしてくれる人と出会えて、本当によかったと思う。

何があってもこの人のお茶、というかこの人のことを、きちんと紹介し続けなければならないと誓う。何のために?それはうまく言葉にならない。でも、そうしなければならないという強烈な衝動を感じる。

重たいお茶の積み下ろしを終えて、久樹さんと僕は彼が落札した茶を並べて鑑定することになった。

5種類の煎茶が登場する。

やな予感がした直後に、また久樹さんが言った。

「どれがええ茶やと思う」

もう迷わずに直感で僕は答えた。

「特においしそうに思えるのはこれ。その次がこれ。佇まいに力があるし、光の照り返しも綺麗。それから、これだけはおいしそうに見えない。痩せてる。でも、これは直感ですよ。」

久樹さんは頷いて応えた。

「その感覚は大事にしたほうがええ。お茶屋さんでもな、他の人が『これがいい』って言うと、あとの人が釣られるようにして同じ茶を『いい』と言うことがよくあるから」

次に湯を注いで香りを確かめ、さらに実際に飲む。

「どう思う」とまた聞かれたので、思うことを遠慮なしに全部言った。たとえそれらすべてが、満田製茶が落札した茶であるとしても、遠慮せずに全て表現した。

そのあと久樹さんの空気が変わって、それらを売る問屋として茶を見、集中する時間が続いた。しかし長くは続かなかった。彼は、よし、と言うとマジックで何やら見本の袋に書き込んだ。それは見てはならないような気がしたので僕は目を逸らした。

次に彼が持ってきたのは、ある産地のお茶2種だった。そこの土地のお茶は、それとわかる風格に満ちている。いずれも旨味を主体としつつも、産地ならではの独特の香りを持つ。

聞かれる前に僕は言った。

「右のほうが、ええ茶」

「一般的には左のほうがええ茶。ちょっと両方飲んでみよか」

「(両方飲んで)どっちも好きではないです。ベロで感じる味は豊かですが、身体に入ってからがすごくしんどい。さっきの5種ではたくさん飲んでもそれを感じなかったのに、この2種はちょっと飲むだけで胸が締まります。でも右のほうがまだマシ」

「一般には左がええ茶なんやけんど、岡村くんの価値基準では右。だから、さっき右と答えたのはある意味間違いやし、ある意味正解」

「…市場の価値が、やっぱりよくわかりません」

そのあと僕たちは再製工場で作業をした。ある生産者から預けられた茶葉を「柳」と呼ばれる状態に加工するものだ。本当にここは、何でもやる場所なのだ。茶業の百科事典のようだ。

機器の使い方を教えてもらう。いつの間にか久樹さんは居なくなって、僕はほったらかしになった。それでも何とかなった。よかった。

5時にあがってアパートに帰って夕食を済ますと、久樹さんからもらった今年の新茶(在来種とやぶきた種)を忘れてきたことに気がついた。7時半、またバイクを飛ばして事務所へ向かうと寝巻きの久樹さんが出てきた。

アパートに戻って新茶を淹れて飲んでみた。

まだ4日目だが、その風味がどれほどの手間の結果出来上がっているかを改めてひとつひとつ体験していることもあり、感動するくらいにおいしかった。本当においしいときには心が震える。理屈は関係ない。

明日は金曜日。週末はフリーになるので予定を立てるのが楽しみだ。

2020/06/24

日野 3日目 6月24日

日野町での仕事は3日目になった。

炊き過ぎたご飯と作り過ぎた味噌汁の残りを温めたもの、生野菜、ぬか漬け、キウイを朝に食べた。昨夜買っておいたバナナを思い出してそれも頬張る。緑茶を3煎。いつもの倍ぐらいお腹に入れている。

8時前に家を出て、5分ほどで満田製茶に到着する。通勤ルートにも慣れた。道ゆく車はみな市街の方へ向かうが、僕だけ町の奥へと進む。地元の子どもたちが登校している。

乾いた空気が気持ちいい。今日は何をするのだろう。

作業はまず昨日の続きから。草とり。かがみ込んで、茶の樹の根本あたりから出ているのを引き抜く。半分くらいは芋の蔓だから、ときどき根の小さい芋ごと出てくる。

抜いた草をまとめて袋に入れ、満田家の裏にある藪に捨てる。黙々とした作業だ。

茶の畝の中はこんなふうになっている。ここに手を突っ込んで蔓を引く。

除草剤を使うのをやめてからおよそ30年、満田家はこの作業を続けてきたのだ。人知れず。「ヤブガラシが出現したのは近年になってからだけれど、芋の蔓は昔からずっとある」とお父さんが言う。

休憩どき、パートのKさんから「どうしてお茶屋になろうと思ったんですか?」と尋ねられた。僕は祖父の話をした。

久樹さんは「公務員やっとけばよかったのに。僕やったらそのまま公務員するわ」と訪ねるたびに僕に放つ言葉を今日も言った。彼は本当にそう思っている。でも、辞めるのを引き止めた茶の素人が、本当に辞めて自営業者になった。それならきちんと勉強しないといけないと思い、栽培・荒茶製造・仕上げ作業・問屋業をすべて行っている自らの職場に、こうして呼んでくれている。

昼食まで草とりは続いた。

昼、昨日より大きな茶碗でご飯を出してくれた。きちんと働いて、ただの穀潰しにならないようにしなくちゃ。食後は体力回復のために昼寝した。

昼からは、昨日久樹さんが仕入れてきた大量の番茶を加工場に積み上げる。ひとつ15kgある袋を4段くらいに積むのだが、積み方にもいろいろある。スーパーで青果担当のバイトをしていたとき、朝早くにトラックで運び込まれる野菜と果物をうず高く積んで搬入したことを思い出した。一度キュウリをひっくり返して怒られた。もう10年以上前のこと。

それからフォークリフトを使い、別のお茶の山を倉庫へ運ぶことになった。「やってみる?」と言われたので、間髪入れず「やります」と答えた。初めて運転するフォークリフトは、僕にはさながら、農業テーマパークのアトラクションのようだ。

運転中、近くの道を警察が通った。何も悪いことをしていないのに、あまりにも拙いフォークリフトの運転をするので、意味もなくびくびくした。

どうにかこうにか教官の指示のもと、「フォークリフト初任研修」は及第点をもらえたようだ。

次の作業は、お茶の火入れだ。久樹さんが入札で買ってきた荒茶を選別したものを、ガス火で熱した空気により乾燥を行い、保存性を高める。

この作業ひとつとっても、安全に工程をこなすための細かい手順がたくさんある。作業前の清掃、ガス栓の開閉、火入れ機各部の電源オン(7つもある!)など。そのうちいくつかは、忘れると火災を招く危険性もあるから気が抜けない。当たり前かもしれないけれど、それらひとつひとつをちゃきちゃき進める農家の姿は格好いい。

久樹さんは、単に職場見学をさせてくれているのではなくて、いつか本当にこの作業をさせるつもりで教えてくれているのだ。

合間に、久樹さんはお茶をみる目の話をした。「岡村くんが好んでいるお茶は、一般には特殊なもの。もっと一般的なものをたくさん見て、広い視点を身につけなあかん。そうすることで、自分が求めているものをはっきりと他と区別できるようになるんやから」

僕は尋ねた。「入札で仕入れるお茶をみるとき、個人的な嗜好はいったん脇においてるんですか」

彼はこんな風に答えた。「プロやから。でも、個人的にどことなく惹かれるものがときどきあるねんな。それは理屈でうまく言われへん。」

「自園のお茶はどう思いますか」

「家のお茶をずっと飲み続けとったら、正直、他のはなかなか飲まれんね。すっきりしてる。嫌みがないっちゅうか。なんでそういう味になるんやろかと思うけど。何が他と違うんやろうか。わからん」

「なんででしょうね。そういえば僕のお客さんのなかに、『緑茶を飲まへんウチの子どもが、これやったら飲む』といって満田さんのお茶、買ってくれる人がいますよ。満田さんとこのお子さん2人は、家のお茶についてどう言わはるんですか」

「淹れるときにいちいち『ウチの茶』とか言うてへん。でもたまに違うのを淹れて出すと、『これ何か違うけど』って言いよる。やっぱり、子どもっていうのは、分かるねんな」

再び午後の休憩になった。お父さんも一緒だ。

聞けば満田家の周辺では、3世代同じ家で暮らしているのはここが唯一なのだという。信じられへん、と久樹さん。お父さんが子どものころ、この家には9人が賑やかに暮らしたそうだ。「今では6人になってちょっと寂しいけど」とお父さん。都会の人間からしたら、3世代6人ってかなり多いですよと僕は言った。

「何で離れて暮らすんやろ。けんど(でも)、遠慮は多いよ。けんかやってせなあかんし」と言う久樹さんに、お父さんは「その遠慮というのが、ええねんやんか」と言った。

僕もそのような暮らしができないか父と話をしたことがある。しかし父にそのような気はないようだと僕が言うと、久樹さんは、「岡村くんのお父さんやもん。頑固なんやろ。岡村くん見てたらわかるわ」と言って笑った。

「岡村くん、なんでお父さんの電気工事を継がへんの」

「いや、僕は小さいうちから『継ぐな』と言われて育ったんです」

「えっ。そうなん。お父さん、偉いわ…」

「結局サラリーマンを経て、同じように自営業になりましたけど」

「…」

そこでお父さんも口を挟んだ。

「都会では勤めに出て、ストレスの多い人がたくさんいはるでしょう。以前、知人の付き添いで神経系の診療に行ったことがある。待ち合いで周りを見ていると、岡村さんより若いくらいの人たちが次から次へと診察室に吸い込まれてました。僕の若いころには、そんなことは無かったように思うけど」

久樹さんも言った。「僕のかかりつけの医者も言うてはる。『満田さん、世の中どうかしてるで』て」

お父さんは、「うちらはストレスてあんまり無いかな」と言うと、久樹さんは「ストレスしかないけど」と笑っている。

笑ってはいるが、それはたぶん本心だ。いいお茶をつくって、そして食っていくのは、それはそれは大変なことなのだ。

帰りがけに久樹さんは、「問屋もやって、自園があり製造もするなんて、そうそうない。うちに来るなら何でもやらなあかん。そのぶん勉強してもらえると思いますわ」と言った。

「茶は、ストレスしかない」と言ったのと同じ人物がそのように言うとき、確かな経験と技術と勘に裏打ちされている自信がちらりと垣間見える。

ちょっとだけ片方の口角が上がるのは、自信を見せるときの彼の癖だ。

そういうときの彼は、手の届かない高みにいるように見えるけれど、その手の内を何も隠さずに教えようとしてくれてもいる。

「素直な気持ちで何でも受け止めなあかんねん」と彼は言う。ここでの学びにおいて、僕がこれまでに頭に入れてきたことはいったん脇に置くべくだと今日は思った。

ふと彼の有り様が、数奇なことから出会うことになった、老茶を人知れず扱う台湾の老師に重なった。老師は鶯歌の店でこう言った。

「ここに来るのは、心に余白のある人。それがなければ人は自分の知識をひけらかすばかりで、何かを学びとる余裕が一切なく、成長できないのです」

やっぱり、そういうことなのだ。

夕食の素麺をツルツル食べながら思った。

今日も眠たい。