2020/10/31

無為の人 / 栢下裕規さん(奈良県 山添村)

こんにちは。

10月26日。気持ちのよい秋晴れに誘われて、奈良県の山添村を訪ねました。お邪魔したのは、この村で就農し釜炒り茶を中心に作っておられる栢下(かやした)家です。

彼らに出会ったのは、5年か6年前。京都の吉田山で毎年開催されている、「吉田山大茶会」でのことでした。この催しには全国から腕じまんの茶農家や茶商がつどいます。栢下さんたちも出店しておられ、まだ作り始めたばかりだった「天日干し釜炒り茶」を並べていました。

そのお茶のおいしかったこと。何度か注文させていただき、しまいにはそれに飽き足らず現場を見てみたくなり、ご自宅を訪ねたのがご縁のはじまりです。

当店でも栢下さんのお茶を、早い段階から「太陽の釜炒り茶」という名前で販売させていただいてきましたが、先だってその名称を製法にならい「天日干し釜炒り茶」に変更しています。

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まずはそのお茶をご紹介しましょう。

当店でも釜炒り茶はいくつかラインナップがありますが、栢下さんのはユニークです。このお茶は、摘んだお茶の芽を釜で炒り、次いで「揉みこんでから天日干し」を繰り返し、乾燥と焙煎を経ることで作られるものです。和歌山県の熊野地方で伝統的に作られてきた「熊野番茶」の製法を学ばれ、これにならっておられます。

その味わいは、さながら台湾烏龍茶の重焙煎をかけたもののよう。それでいて上品すぎることなく、日常の気兼ねない飲み物として生活に根を下ろす親しみやすさ。深みある香ばしさは単に焙煎だけから生まれるものではなく、それ以前のあらゆる工程が織り成す豊かな滋味に満ちています。台湾のお茶が好きという方にもきっとお気に召していただけますし、日々の食卓にもぴったり。

さて今回の訪問では、改めて一家のこれまでの歩みについてお話を伺う機会を得ましたので、それを皆さんと共有したいと思います。茶農家の表情の一端を知っていただくきっかけになれば幸いです。

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お話を伺ったのは、栢下裕規さん・江里さん。お二方とも奈良出身ではなく、裕規さんは大阪の枚方で、江里さんも同じく大阪の和泉のご出身。

話を裕規さんの大学時代まで遡って、彼らの足跡を追ってみましょう。

裕規さんはもともと農業を志していたわけではなく、大学では建築を学んでいました。3年生のころからは庭園に関心を持ち、国内では飽き足らず中国にも鑑賞しに行くほど。その興味関心から卒業後は造園会社での仕事を体験するも、すぐに身を引きます。「思い描いていた仕事と違っていました」と彼は言います。

「お寺の庭園管理のようなことをやると思ってたんですけど、違ってました。行政から委託を受けて、公道脇の雑草や公園の芝を刈るとか、そういうものでした。もちろん寺院の仕事もある会社でしたけど、今思ってみれば新人にそんなとこ、いきなり任せる訳ないですよね。それで草刈りがあまりにもしんどくて、辞めました。今のほうが体力的にはきついので、なんてことないはずやったんですけど」

退職後、彼はもともと興味があった昔ながらの里山での暮らしを考えはじめます。「里山って、作為のないデザインでできているんです」と彼は言います。「里山で生活しようっていうことなら、やるべきは農業かなって、漠然と思いました」

彼と会ったことのある人なら、彼が里山という言葉のニュアンスをそっくりそのまま体現しているといっても、頷いてくれるのではないかと思います。

2009年、彼は1年間の有機農業研修を伊賀で受けることに。直感から「有機しかない」と思っていたそうです。しかしこの研修生活を経て、彼は体力と精神のいずれをも鍛えられたと言います。つらい局面もあったそうですがどうにかやり抜き、「この経験からタフになれました」と現在彼は笑います。

続けて彼が半年間の研修先に選んだのは、奈良県内の農園でした。ここも有機農法に特化していましたが、経営規模が大きく、したがって有機物の使用量も多い。有機農法について思索を巡らせた彼は、やがて肥料をも使わない農業か可能であるのかどうかを思い巡らせます。そこで彼の目に魅力的に映ったのが、農薬と肥料を使わない、いわゆる自然農法という手法でした。

そこで裕規さんは、同じ奈良県内で自然農法を実践し、野菜とお茶を生産していた農園で2年間を過ごすことに。ここで得た見識から、お茶ならば土壌さえ肥沃ならば自然農法でもやっていけるのではないかと可能性を感じたそうです。ここに至って彼とお茶にようやく接点ができたわけですね。

そしてお客さんとして吉田山大茶会を訪ねた彼は、そこではじめて釜炒り茶の存在を知ります。その魅力を突き詰めるため、彼は四国や九州の生産者を訪ね歩きました。心の赴くまま自由に物事を選択してゆく裕規さんの足取りは軽やかで、気鋭のクリエイターというよりは、どこか牧歌的なのどかさを感じさせます。

江里さんが彼と知り合ったのもそんなころ。彼女は同じ農園で働いていたのです。

やがて2013年に奈良県の山添村にある茶畑を紹介され、この地での農業がスタート。3月にたまたま近くを通りかかった住人から今の住まいである古民家を紹介してもらうことができ、お茶づくりで力強い協力を得ていた江里さんとの生活も始まったのです。「お茶作りはひとりではできないし、本当に心強かったです」と裕規さん。

そうはいっても、彼らはお茶づくりの専門的な修行をしていませんでした。そこで県内の懇意にしていたお茶屋から紹介を受け、和歌山県のある農家を訪問。この農家こそ、現在栢下家の看板ともなっている天日干し釜炒り茶(熊野番茶)を今も生産し続けている古老だったのです。今でも毎年師匠を訪ね、学んでいます。

2014年には自宅横に小さな茶工場を新設。新品の台湾製製茶機などを思い切って購入し、必要最小限の設備で栢下家のお茶づくりは本格的にスタート。この年には、二人の間にかわいい愛娘も誕生しました。

天日干し釜炒り茶のクオリティが落ち着いてきたこともあり、近年はラインナップの拡充にも余念がありません。とりわけ、ウンカという虫が茶を吸うことで「蜜香」と呼ばれる香りの生まれる紅茶は、新たな看板商品として活躍しています。プーアル生茶の製法にヒントを得た長期熟成茶も仲間に加わっています。

早くから多様な品種の育成にも取り組み、現在では在来種のほか8品目を管理。「お茶を植える段階が、一番好きです。話が最初に戻ってしまいますけど、やっぱり庭づくりのようなものに通ずるのです。管理のし易さとか景観とか、自分で考えるのがおもしろいんです」

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裕規さんは、初めてお会いしたときから、口数の少ない人でした。しかしそれだからといってきまりの悪い空気になることはないのが不思議で、こちらも気負いすることがありません。黙々と立ち働いておられる姿は朴とつとしていて、里山を形容して「作為のないデザイン」と言った彼のその言葉そのものの印象を帯びている人です。でも、よいお茶をつくろうとしておられることは、ひしひしと伝わってくるのです。

江里さんは、とっても器用。ちょっとしたことなら割となんでもできるんですよ、と語る彼女は、農園のデザインや広報面を全面的に担っています。もちろんお茶の時期になれば、お茶の摘み取りや製茶作業など裕規さんと一緒にやっておられます。

このお二人には、押し付けがましい商売っ気のようなものがまるでなくて、一方素朴で香りのよいお茶を黙々と作り続けておられます。だから何だか気になってしまうし、毎年どんなお茶を作られるのか楽しみなのです。

初めてお会いしたときだってそうでした。吉田山大茶会の賑やかなテントの並びのなかで、ただテントとテーブルを広げ、そのうえにお茶を並べていたご夫妻。飾り気もないし、ただ静かにそこに居て、作ってきたお茶の話をとつとつとしている。そういうブースはここだけでした。その時に私の胸を打った彼らの実直な立ち姿が忘れられなくて、今でもお会いするとそのときの気持ちを思い起こすのです。こんな人たちがお茶を静かに作っておられるのならば、なんとかして知ってもらえないかなと、素直に思いました。

「作為がない」ものに惹かれる裕規さんの感性は、そのまま彼ら自身の人となりにも。彼らのお茶を一口飲んでいただければ、きっとそのことを感じていただけるはず。物静かな裕規さんは、お茶を通じてこそ実は人一倍に雄弁なのです。

同世代である彼らのこれからを、ずっと追い続けて皆さんにお伝えしたいと思います。

2020/08/30

孤高の煎茶が生まれる場所へ / 小椋武さんと君ヶ畑

ほんの少ししかないけれど、新しいお茶をご紹介します。

煎茶「君ヶ畑」。キミガハタと読みます。

はじめにお伝えしたいことがあります。この煎茶、ここ数年で私が縁あって口にできた緑茶のうち、ほかの追随を許さない圧倒的な品質を誇っています。手元にはたったの1kg。

凄まじい香気は、かつて多くの日本茶が持っていたという胸がすくような香り高さを今に伝えているようにおもえてなりません。

今回は「君ヶ畑」の生産者のこと、そしてこのお茶が生まれた理由を追ってみましょう。

生産者は、滋賀県東近江市の君ヶ畑に代々お住まいである小椋武(おぐら たけし)さん。山の材木と茶を代々の稼業とし生活してこられました。

今年、数えで80歳になられると仰いますが、屈強な体格と背筋の伸びには何ら衰えというものを感じさせません。

小椋さんのいらっしゃる君ヶ畑は、政所茶ブランドを支える奥永源寺地域の七集落のなかでも、最奥にあります。木地師の祖と敬われる惟喬親王(これたかしんのう)が都を離れ、各地を転々としたのちに住まわれたとされる由緒ある土地。君ヶ畑の「君」とはこの親王に他ならず、親王を祀る荘厳な神社も集落に残っています。

小椋さんとお会いすることが叶ったのは、7月に山形さんのもとを訪ねて今年の政所茶をひととおり試させていただけたことがきっかけです。

このときほんとうにたくさんの、それぞれに素晴らしいお茶を試しました。

すでに販売している川嶋さんの煎茶は、政所らしさをしっかりと持ちつつ、どこか肩の力を抜いて楽しめる素朴な魅力に満ちています。

そのあと小椋さんのお茶を飲みますと、川嶋さんのものとは正反対に、鬼気迫る執念をさえ感じるようなおもいがしました。その香りは他が並ぶことを許さず、形容する言葉を無くしてしまったほど。

その後ほどなくして、小椋さんに会わないかと山形さんからうれしい提案。そうして叶ったのがこのたびの訪問でした。

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到着するとご夫婦で温かく出迎えてくださり、さっそく家の中へ。築100年以上経つという家屋は古びた様子をまったく見せず、磨き上げられた木の美しさを家中にきらめかせていました。

小椋さんはさっそく、君ヶ畑集落のお茶のことから自らのお茶作りまでを丁寧に、そして情熱的に語ってくださいました。上の写真に写っているのは、過去数年の茶畑の農作業を細かく記録したアルバムです。

この家の初代であるお爺様が開墾したという茶畑に植わっているのは、やはりこの地域らしく在来種。薬品を使用せず、落ち葉やススキ、牛糞など有機肥料だけを使用して栽培管理しています。

小椋さんのお茶づくりの転機となったのは、ライターである飯田辰彦さんとの出会いでした。静岡県出身の飯田さんは、昔ながらの日本茶の香りを支えた「萎凋(いちょう)」という工程の重要性を著書で伝えています。これは、摘んだ葉を時間をかけて萎れさせることで、茶葉のわずかな発酵を促し香りを高めるプロセスです。現代、日本の煎茶づくりにおいては萎凋を意図的に行うことはほぼありません。

しかし政所では代々、自然に萎凋を行なってきたそうです。小椋さんの家でもそれは変わらず、しかしその作業を「萎凋」と呼ぶとは知らなかったと奥さんはいいます。摘んだ葉を家の板間に薄く広げて風通しをよくしておき、ときどき撹拌しつつ一晩を過ごすのです。

もともとやっていた作業でしたが、より意識して香りを高め品質のよいお茶とするために、5年前から小椋さんは試行錯誤して萎凋に取り組んでこられました。

「最初の年、ほんまにええのができた。やから『こんなん、簡単なもんや』と思ったんやけんど、そうはいかんかった」

温度管理や風通しの具合など様々に試行を重ねました。うまくいくと、その部屋だけではなく、家中のいたるところにその香りが届くのだといいます。「ハーブのような香り」と奥さん。

そうして香りの高まった茶葉は共同製茶工場に運ばれて、地域のみなさんの手で、家ごとに茶が混らないよう分けて製茶されます。

武さんによれば、「香りのええとき、粗揉機から出たお茶の香りが、精揉機のあるところまで届く」そうです。この2つの機械はかなり離れたところにあるので、びっくりするような話。

このお茶がまさに製茶されているそのとき、山形さんもまた工場にいました。小椋さんのお茶が担当箇所に流れてきたとき、先輩からこう言われたそうです。

「ええ茶や。よう見とけよ」

武さんも茶工場で製茶の仕事を受け持っておられました。しかし後身に譲るとして、今シーズンで工場からは引退なさったのです。

最後のロットを加工し終えたとき、武さんが脱帽して製茶機械に向かって深く一礼するところを山形さんは目の当たりにしました。彼女の胸には、そのときどんな気持ちが湧いたのだろうかと想像します。

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今年はとてもうまく仕上がったと武さんも自信たっぷり。「ものをつくるというのは、ほんまにおもろいで」。

「畑は、預かりもの。次に渡すために欠かさず手入れしておきます。自分の代でこの茶畑を小さくするということはしません」と語る武さん。彼は自分の畑という感覚ではなく、手渡され、預かり、そして次に繋げるものであるという考えで茶と向き合っています。

その考え方は、並行して営んできた林業でも垣間見えます。「樹は、自分が植えたら、子が育て、そして孫が切る。そういうものです」といって、50年前に植えたという立派な杉の写真を見せてくださいました。

ご自宅も、同じです。いつご子息が戻ってきてもよいように、よく手入れされているのです。「いまはみんな街へ出ていくような時代やけど、いずれ、山のよいときが必ず来ます」。

そんな武さんは、茶畑の様子を見にいくのが日々の楽しみ。「用事がなくても、『今日も元気か』って、お茶のご機嫌伺いに行くんです。山も茶も、親方の足音が最大の肥料なんですよ」

そんな話をしつつ、武さんは君ヶ畑集落の案内をしてくださいました。その足取りはどっしりと重厚で、集落を守ろうとする気概に満ち満ちているのでした。

「君ヶ畑のお茶こそが政所茶の質を支えてきた。そういう気持ちでつくっています。昔はこの集落だけでも3軒の製茶工場がありました。他の集落の茶も集まる政所茶の共同販売会では、農協に売りに行ったお茶を箱に残したまま君ヶ畑に帰ってくることは恥だとされていたんですよ」

※現在、政所茶の製茶工場はJAが操業する1箇所だけになっていて、ここに全集落のお茶が集まる。

少量だけ作られた今年の煎茶を、当店にも預けてくださいました。

これこそ煎茶の勘所だと膝を叩くおいしさ。もはや冗長な説明を必要としないその力を、ぜひご堪能いただきたいとおもいます。

この地のお茶は、正月のころに熟成が進みおいしくなるとも伝えられています。少しだけ取り分けて寝かせておき、新春をともにするのもよいかもしれませんね。

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手摘み煎茶「君ヶ畑」

滋賀県 東近江市 君ヶ畑町

小椋 武 作

在来種 無農薬 無化学肥料

2,980円 40g入

2020/08/25

発酵番茶 / お百姓さんの健やかな茶

こんにちは。

奈良県都祁(つげ)の羽間さんから、在庫がわずかだった発酵番茶を追加でお届けいただきました。このお茶は、「わざと大きな葉で作った紅茶」です。

摘んだ葉を、人気のない山道に敷き詰めます。数日かけて何度かかく拌し、空気を通します(ほかの農作業もあるので夜中にするときも!)。葉は萎れますがこのときによい香りが生まれるので、欠くことのできない大切な作業です。そして工場に持ち帰り、しっかりと揉み込んでから発酵を促し、乾燥させて完成。

ただいま販売しているのは、昨年の夏に作られた在来種。製造から一年が経ち、湯を注いだ際の香りは深みある蜜のような甘い芳香に変わっていました。びっくりするほどの変化です。

立ち上る濃厚な香気とは違って味わいはどこまでもさわやか。一番茶のような明るい華やかさはありませんが、一方で番茶の素朴な味わいが自然な化粧をしたような、健やかな味わいにうれしくなってしまうお茶です。

暑い夏には、ぜひ熱湯で淹れて楽しんでみてほしいと思います。お腹から優しく温まり、そして汗を少しかいたあとにはわずかなそよ風でさえも冷たく感じるほどの涼感がやってくるでしょう。熱い茶と涼しさは相反するものだとおもわれるかもしれませんが、お試しを。

そもそもこのお茶の出会いは、まだお茶屋になる前のこと。あることがきっかけで購入した彼の発酵番茶が家にちょうど届いたその日、私は風邪で高熱を出しており飲み食いがままならない状態でした。ちょうど家族が外出しており家でひとりで伏せっていましたら、配達員の方がお茶を持ってきました。

そんなときでも初めてのお茶となればふらふらの状態でも飲んでみたく、湯を沸かして何気なく飲んでみたら、不思議なことに私の体は「もっと飲め」と言わんばかりに欲しがったのです。何も食べられず、飲み物もあまり飲めなかったのに、このお茶だけはすとんと体に入りました。理屈は置いといて、ともかくこのお茶だけはいくらでも体に入りました。

その体験がきっかけで羽間さんとのご縁もできたのです。そんな食べ物や飲み物が、みなさんにとってはあるでしょうか?あるよという方はまた話を聞かせてくださいね。

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さてこのお茶は、羽間さんだからこそ作ることができるお茶だといえるでしょう。米と野菜とキノコ等もつくるお百姓さんである羽間さんは大忙し。彼の家にはガスが通っておらず、自給自足の暮らし。多様な農作物のスケジュールと変わりゆく天候の合間を縫うようにして、そのときそのときにできる仕事に取り組んでおられます。

だから、お茶をつくるにしても羽間さんは決して無理をしません。農薬と肥料をまったく使わない羽間さんのお茶ですから、まずお茶の体力を第一に考えて毎年作るということをせず、2019年はたしか3年ぶりの製造でした。

そして作るにしても、決まったときにできるわけではありません。できるときに、お茶の状況をみながら作るのが羽間さんのスタイル。見てくれも味わいも業界的な市場価値にはとらわれず、それとは距離をおいたところで光を放っています。わたしは、類まれな価値が彼のお茶にはあるとおもっています。

番茶でつくる紅茶というもの自体が、まずそこらでお目にかかるものではありません。どうして緑茶ではなく「番茶の紅茶」にするのかといえば、羽間さんの農業のスタイルに合うのがこのやり方だからなのでしょう。商業的に緑茶をつくるなら、一般的にはそれなりの規模の加工場が必要です。ところがこのお茶なら、製造量にもよりますが巨大な設備がなくても作ることができます。だから羽間さんは、森の中にある山道をも利用しつつ、経済的にも無理なくできるやり方でお茶と関わろうとしておられるのです。

自然の摂理に対して慎しみ深い理解があり、そして既存のやり方にとらわれず遠慮しながらお茶と接することのできる羽間さんだからこその仕事だと私はおもいます。

いつも目を細めて笑っておられる朗らかな羽間さんは、そのようなことをわざわざ口にすることもなくただ優しく田畑や森と関わっておられます。ありのままの放任した自然にこだわるのでもなく、また逆に必要以上の負荷をかけることもなく、あるべき調和というものを長い時間をかけて探っておられるように感じられます。

だから、このお茶には羽間さんの哲学がぎっしりと詰まっているようにおもわれてなりません。

お茶は人をあらわす鏡だとおもいます。そのことを羽間さんもしっかりと伝えてくれているのでした。