2020/06/30

満田製茶 9日目 6月30日 / 優しすぎる

今日の仕事

・ひみつ

・委託加工 荒茶 柳仕立て

・委託加工 煎茶 仕上げ

・落札した茶の受け取り

今日の一日は、言わないほうがいいことからスタートした。それは特別な計らいでもあるので、詳しいことは書かないでおきたい。

そこで僕は、初対面となる茶の事業者とたくさん出会った。頭を下げっぱなしだ。後ろから声が聞こえてくる。ひそひそ声でも分かる。僕は、人が自分のことを言っているとき、異常なくらいそちらに神経をもっていかれる。

「満田さんとこの、あの細い人、誰や」

久樹さんは僕の正体をきちんと説明してくれていた。僕はしゃしゃり出るのも良くないと思い、黙って引き下がっていた。

ここでは体格でまず人を判断されるきらいがある。僕は細い。中学は剣道、高校はテニスをしていたけれど、以降は運動嫌いだし、筋肉がそんなに無くてもどうにかなる都会暮らしだ。

頭でっかちに考え気味の日々を後悔する。ここでは力のない人間はどうも見くびられてしまうのだ。

優雅にみえるお茶という世界も、はじめはこのような空気のなかを通り抜けている。ガソリンと茶埃と汗にまみれ、むさ苦しくも爽やかな、農業のリアルな現場だ。そしてその世界は、相場と駆け引きのなかで商品価値が決定していく非常にシビアなものでもある。

産業として茶が存続しているのは、そのような現場で問屋さんたちが生産者と一般のお客さんの間に入ってくれているからだ。彼らの感性と商魂が、生産者たちの渾身の作の市場価値を決める。ときにそれは、その茶の味や香りとは別なところで決定されることがあることをも今日は知りえた。

動くお茶の量が違う。そのスケールのなかで、「にほんちゃギャラリーおかむら」などは、数字のうえではミジンコみたいなものだ。

「岡村くんがやろうとしていることをハッキリさせていくためにも、市場や相場という世界が主流であることを知ってもらい、どのようなものが市場価値を持つのかを判断できる目を持ってほしいねん」と久樹さんは何度も言う。

「岡村くんはええ意味で頑固やしそれはええねんけど、もうちょっとシビアなものの見方をして、商売としてきちっとやっていくことも必要なのよ。岡村くんが直でお茶を買ってる農家はみんな優しいんよ。もうちょっと広く見なあかん。それに、直ではない買い方というのも知っといたほうがいい。実際にやらんにしても」。

外出先から2人で戻ると、さっそくいくつかの茶葉を並べる久樹さん。

「どれがええ茶やと思う」

日に一回はこのテストを受ける。

「ええ茶っていうのは、僕の好みのことですか。それとも市場価値のことですか」

「市場」

「それやったら、これ」

「骨太で色味にも深さがあるし。においにも力がある。で、こっちは水くさい感じがする。乾燥が甘いんと違いますか」

「正解やね」

今日は雨も強まって、外の草取りができない。雨ということは、草がぼうぼうに伸びてくるということだ。次の晴れの日は大変なことになるだろう。

外で仕事ができないので、加工場で作業をする。まずは、緑茶の「柳仕立て」という委託加工をする。使う機械はみな大型で、掃除にはじまり掃除に終わる。違うロットのものが混入しないように気をつけないといけない。

生産者から預かった荒茶を大きさによって選別し、大きすぎるものは切断機を通すことでサイズを均す。

サイズ別に選別された茶葉を乾燥機(上写真手前)に通す。ここで茶葉の水分量を減らすことで長期保存のできる状態にして、なおかつ香味の発揚を促すことができる。

火の入った茶葉は静電気を利用した選別機を通る。茎が静電気で吸着され、分けられる。

最後に全体を均一にするため合組機を使って混ぜ合わせる。

さらに、煎茶の仕上げ加工にもとりかかる。柳仕立てよりもより工程の多い選別を経て、切断、火入れ、茎選別、合組。これも細かい掃除やちょっとした機械の調整があり、手数が多い。

選別に使う篩い(ふるい)も、原料の状態によって久樹さんはかなり時間をかけて悩んでいた。そのやり方を誤ると、原料に対する歩留りが非常に悪くなってしまう。預かったものをいちばんよい方法で仕上げてお客さんに返す、責任の大きな仕事だ。

僕は細かい調整なんてまだできないから、その周辺の細々としたことで久樹さんのアシスタントにまわる。でも、テキストで学ぶ製茶方法のリアルをみ続けられるのは楽しい。

ときどき後ろから久樹さんの動き方をみて、主体的に判断して動けることが無いかを探す。

ほんの少しずつ、工場での動き方を体で覚えていく。子どもの成長と自信にも似た感覚だ。寝返りがうてる。ハイハイができる。つかまり立ち。歩行。

お父さんも作業に入っていたので、その作業もフォローする。お父さんはもう80歳を超えているが、とてもそうは見えない。

かつてはおじいさんも居り、さらには雇い入れたスタッフもいたから、賑やかだったそうだ。その当時は市場も非常に活気があり、お茶の市場価格は今よりもずっとずっと高かった。

乾燥機のガス火ゆえ、加工場の気温がどんどん上がって汗が止まらない。

… 

今日の仕上げに、満田製茶が落札した茶葉を集荷場まで取りにいく。トラックで向かい、久樹さんがひょいひょいと運び上げてくる30キロ入りの袋を荷台に並べていく。

体を一気に使う瞬間だ。腕力よりも、腰や脚の使い方のほうがひょっとすると大事かもしれないと思いながら作業する。

17時となり、終業。久樹さんもどこか一息ついた雰囲気になり、スーパーカブを見にくる。久樹さんはカブが気になるのだ。

「ええな。何速あんの」

「4速。以前のカブと違ってセルでスタートするんで、蹴らんでもええんです。どうです1台。20万円と少し」

「僕は900ccくらいのが気になるんよな」

「そんなん乗って、久樹さん事故しはらへんか怖いなあ。死なんといてくださいよ。ぜったいに困ります」

「へへへ。言うてるだけで、買わへんよ」

「ちょっと乗ります?」

「ええわ。新車こかして傷つけたら、えらいことやん」

「わはは。そしたらお疲れ様でした。また明日です。ありがとうございました」

「おおきに。明日もよろしく」

雨が激しく降る中をスーパーへ向かい、足らない食材を買って帰る。かんたんな自炊はけっこう楽しい。

本を一冊買ったけれど、今日も疲れた。読めるかな。


2020/06/29

満田製茶 8日目 6月29日 / 無農薬の真髄?

日野に来てから2回目の月曜日を迎えた。

今日やったこと

・草とり(手作業)

・仕入れた茶を冷蔵倉庫へ移送

・草刈り(草刈機)

日差しのきつくない時間を利用して茶園の草とりをする。久樹さんと話をしながら、ぶちぶちと草を抜いていく。やぶがらし、自然薯、朝顔、ウリの蔓、笹…コツや段取りも少しずつ分かってきた。どの草がどんなふうに生えていて、どう攻めれば効率的に取れるか。どうすれば疲れにくいか。

草とりは満田製茶の仕事の核なのかもしれない。

「こういう淡々とした作業も悪くないやろ。余計なこと考えへんし。大切な時間やで」と久樹さん。いつもはどんどん先にいく彼だけれども、今日は話が弾んで僕と同じペースで進めてくれた。

「無農薬をするようになって30年くらい経つけんども、ここ数年でやっと分かるようになってきた。無農薬の茶の真髄が。やっぱりな、茶は無農薬で作らなあかんねん。無農薬の茶ぁは、何かちゃう。うまいねん。でも、お茶屋さんたちがいう旨味のことやないよ」

彼は何を感じているのだろうか。

彼は問屋として、市場の価値観に基づいたお茶の鑑定ができる人だ。茶を見たら人がわかるねん、と彼は言ってはばからない。

彼が仕入れてきた茶をみて「めっちゃええ茶やんか」と惚れ惚れしている場面をすでに何度か見ているが、そのときの「ええ」は、彼が自園の茶について言っている「ええ」とはまったく別物のニュアンスを帯びている。

「こうして岡村くんも来てくれるから何とか続けられるものの、いつまで出来るかわからへん。そのうちに1度だけ除草剤使わなあかんときもあるかもわからへん」と彼は大真面目にいう。

僕は、彼が例え農薬を使う農家になっても、彼のことを追いかけ続ける。

「岡村くんは頑固や。ええ意味での頑固やけどな。頑固。お母さん大変やったと思うわ。感謝せなあかんで」と彼は草をとりながら話し始めた。

「前職を辞めたいと言ったとき、母親は参ってしまっていました。本当にどうしたものかと悩んで、親戚に相談までしてたくらいです。辞職も起業も、きつく反対された。でも、病気で亡くなる2日ほど前に、突然言うたんです。『やってみたら。あなたの人生やから』って」

それを聞いた久樹さんは、神妙な顔をした。「ええ…そうなんか…。実を言うとな、僕が岡村くんに頼んでこうして来てもらっているのは、お母さんを感じるからってのもあんねん。お母さんがな、僕に言うてる感じがしてたんや。『息子がちゃんとやっていけるように、茶を教えてやってください。頼みます』ってな、なんかわからんけど、お母さんに言われているような気がしてたんや。そういうこともあって、来てもらってんの。せやからここにいる間は、先入観を捨てて、素直な気持ちでお茶をみてや。あと、仏壇は毎日参るんやで」

「はい」としか言えなかった。生前の母親なら、そういう頼み事をきっとやっていただろうと思うからだ。

それからもいろいろの話をした。

子どもの教育とデジタル機器の話になったとき、話題はYouTubeのことに移った。珍しく彼は言葉を荒げ、こう言った。

「YouTubeって、わけのわからんもんばっかり流れてんのな。なにが、『はじめしゃちょー』やねん。おれな、ペラペラしゃべってばっかりの男は大っ嫌い!しょーもない」

その1時間くらい前に、「僕はめったなことがなければ怒らん」と言っていたのに、もう怒っている。笑ってしまったけれど、彼は大真面目だ。

それから彼は、草刈機についてレクチャーをしてくれた。「田舎でこれが使えんかったらばかにされる」といって、まだ使ったことのない僕に、安全第一の指導をしてくれる。

意外にも重たくてびっくりした。やっているうちに右腕が棒になる。コツが掴めない。午後の後半にも草刈機を使ったけれど、「時間かかりすぎ。その4倍のスピードでやらんならん。金属チップが危ないからやと思うけんど、腰が引けてるわ」と彼は笑った。

こういう風に言われると燃えてくるので、挽回したい。

午後は、彼が事前に仕入れていた茶を業務用の大型冷蔵倉庫へ運ぶことになった。30kgある袋を次々にトラックとバンに積み、彼はトラック、僕はバンに乗り込んで倉庫へ移動した。

倉庫の中は気温5度くらい。はじめ涼しいと思うけれど、じっとしているとどんどん冷えてくる。そのなかで彼は自分の背丈より高いところへ30kg袋を積み上げる。すごい。

僕には難しい作業だ。

「慣れやねん。やってたらできるようになる。岡村くん今何歳?34?そんなん、バリバリに動く年やん」と50代の彼は言った。またまた燃えてくる。

そこは地域の集荷場も兼ねているところだ。ここに茶農家たちが荒茶を持ち込んで、ロットごとのばらつきを均すために全量を混ぜ合わせる。それが入札に出される。落札された茶を問屋たちが引き取りに来る。

少しずつ、お茶の流通が見えてくる。教科書でしか見たことのなかった繋がりが、そこで働く人々の汗と茶の粉塵とともに目に映るのはとても新鮮だ。

何もかもを、彼は見せようとしてくれる。生涯でもきっと忘れ得ない学びの時間になるのだろうと、今のうちから思う。

今日は身体を酷使する1日だった。腕がすでに棒のようでキーボードも打ちにくい。明日の朝起きたときの筋肉痛が怖い。

30代の若さなんて関係がない世界。日々身体を使って仕事をしているかどうかだ。腕力であまり役に立っていないことが歯痒くも、それでもなお彼が見せよう、感じさせようとしてくれているものを必死で頭に叩き込み、手指の感覚に馴染ませようとする。

満田家に戻ると、お母さんがおかずをパックに入れて用意してくれていた。それを持ち帰って、買い足した食材も使って夕食をつくる。満田家の人たちは、みなこざっぱりとした人で、話していて気持ちがいい。

風呂に入ってから島本の家族とビデオチャットをすると、娘が虹を描いてみせてくれた。

世界は、いまかつてないくらいに鮮やかに見える。

もっと見たい。もっと知りたい。

2020/06/28

7日目(休暇)6月28日 / おいしいお茶とはなにか

日曜日も休暇なので、終日、日野町の各所を散策した。

今日は少し趣を変えて、日野の話ではなく「おいしいお茶」のこと。個人のFacebookアカウントで午前に書いたことを少し膨らませてみる。

まずご一考いただきたいのだけれども、「おいしいお茶」ってどんなお茶だろう。誰かがそう言っているという価値基準ではなく、あなたが思っている「おいしいお茶」。

答えは何通りでもありそうだし、どれも間違いではないと思う。誰かの入れ知恵ではなく、あなた個人の感覚である限りは。

おいしいお茶って何だろうと改めて考えていると、スーパーにこんな商品が並んでいるのを見つけた。

まず最初に断っておきたいのは、僕はこういうものを頭ごなしに非難するつもりはない。「無添加 自然派」をアピールしたり、これを好んで飲む人を否定したりする意図もない。

ただ、僕の個人的な嗜好からすると、飲むと吐きそうになることがある。

それでも、ちょっと立ち止まって見つめてみよう。「添加物!!」と脊髄反射的に反応せず。

ふつう、お茶の原材料には「緑茶」などと書いてある。フレーバードティーでなければ、殆どの場合はそれだけだ。本当に、それしか入っていない。周辺の藪から飛んできた笹や杉の葉が混入することがあるけれど、完全に除去するのは難しい。

ときに「濁り」とか濃い目の味付けを意図するときには、「抹茶」が付け加わっている。抹茶入り玄米茶などがよく売られている。

しかし、この商品にはそれに加えて、「固形茶」というものが使われている。粉末緑茶+でんぷん+青海苔からなるもので、どうやら粉末茶と青海苔を固めて伸ばし、煎茶のような見た目にしたもののようだ。

さらには調味料(アミノ酸)として添加されているのが、恐らくグルタミン酸ナトリウムだと思う。

青海苔は何のため?

それはきっと、玉露やかぶせ茶といった茶種独特の栽培に由来する「ジメチルスルフィド」という化学成分のにおいを再現するためだ。磯のにおいを思わせる。そのためにわざわざ手間をかけて「固形茶」なるものが製造されし、必要な業者はこれを仕入れて混ぜる。

アミノ酸は何のため?

アミノ酸はどこにでもある旨味調味料で、加工食品の多くに添加されている。お茶は添加しなくてもアミノ酸を合成する植物で、玉露やかぶせ茶、それに一部の「高級煎茶」や茎の部分には特に多く含まれる。

それなのにどうして添加しているのかといえば、原料の緑茶にあまり含まれておらず、それが欠点として認識されているから。下級原料の欠点を補わんとするために、わざわざアミノ酸を仕入れて添加している。もっと言えば、本来は熱湯で淹れると他の成分とのバランスの中で感じにくくなるはずの旨味が、添加した茶なら感じられるという側面もある。

こうして海苔とアミノ酸により、一般に「高級」とされるお茶特有の香りと旨味を再現することができる。加えて抹茶が味に厚みを持たせ、視覚的にも緑の強いリッチな雰囲気の商品ができるということだ。

このような商品を通じてわかることがある。

ひとつ目。一般に何が高級だとされているのか。玉露などに特有のキャラクターは、高級品の証なのだ。それがなければ、ランクダウンする。

ふたつ目。高級とか下級とかは、あなたの嗜好とは一切関係ないところで決められているということ。

もちろん、このような茶を好む人もいる。だから販売している。

あるとき初対面の女性が、似たような商品の空袋を持って「これ、ありませんか」と訪ねてきたことがある。

僕はないと答えてから「失礼ですが、だいたい幾らで購入したのですか」と聞いた。するとその女性は、100gで5000円くらいしたと答えた。目を覆わんばかりの、申し分ないボッタクリだと思う。

その値段で売れるのだから何が悪い、と業者は言うだろう。でも、売れるならいくらで売ってもいいのか。これは人としての信条の問題だ。

一方、この商品を求めた女性を否定してはいけない。自説をぶつようなことはしなかった。それは、この人の好みだからだ。「そんなものを飲んでいるようでは…」だなんてもし思うことがあったとしたら、いつかしっぺ返しが飛んでくるし、それ以上の学びは望めないだろう。

しかし女性は残念そうに去っていった。今でも個人的に心残りのある出来事だ。

「素材がシンプルで、おいしい食品」に似せたものが売られているのは何もお茶だけではない。たとえば調味料の全般にみられる。市販の味噌や梅干しもそうだ。

日本は、そのようなものを開発するのに莫大な開発費をかけて工夫することに長けた、器用な国だと言ってもいいのかもしれない。1億人以上も人がいるのに、その人々がみな都市に住みながらも添加物の少ない食品にありつこうとするのには無理があるかもしれない。

だから大量生産を悪者扱いしてはいけない。農薬も、化成肥料も。

たいていの場合、生活は大量生産の恩恵にあずかる他ないのだと思う。そしてもちろん今のところ、他国の人が耕してくれる他国の土壌がなければ成り立たない。これを資本にものを言わせた「仮想の国土」と言ってよければ、日本は実際の国土よりもかなり広い面積を支配していることになる。

日本が帝国を名乗った時代と、結果的には似たようなことをしている場合はないだろうか?

と、話が逸れてしまったけれど、とにかく市場規模がものすごく大きい以上、昔ながらのものを当たり前に入手するのは簡単ではない時代。

自分で生産するか、お金をたくさん出すか、巨大なマーケットから足を洗って活動している業者から入手するかだ。

それに加えて、多くの人の嗜好からかけ離れつつあるものを、ときに「高級」と銘打って販売したり、それと偽って別物を売ったりする時代だ。

お茶だってそうだ。高級かどうかは口にする人が決めたらいいし、値段の高い安いはあまり関係ない。「目利き」の芸能人に高級品と下級品を鑑定させて遊んでいるテレビ番組があるけれど、そういうやり方には我慢ならない。

安い番茶をおいしいと思う。それならそれでいいじゃないか。でも一歩進んで、なぜそんなに安いのか、問題はないのかと考えてあげることも必要だ。

市場規模と、人の嗜好を左右しようと躍起になる業界を前にして、それでも自分のからだの感覚とこころを総動員し「おいしい」と思うものを探すのは大変に思われる。でもそれは舌が肥えていなければならないと考えるからだ。もちろん、そんな必要はない。

僕も同じようにもがいて、次から次へとお茶を試しながら気づくことがあった。それは結局商品そのものではなく、人なのだ。

誰がどんなことを考えてつくったのか。どんな人なのか。どこに住んでいて、どんな暮らしをしているのか。そしてあなたは、それらのどこに共鳴する思いを感じるか。

さもなければ人は、ただのグルメ評論家になってしまう。これでは人に感謝することがなくなるだろう。

「おいしいもの」は、人をみて決めるものだと、僕は今のところ考えている。