「もしもし、岡村さんですか。検査の結果、陽性でしたので。」
単調な電話をかけてきた病院のスタッフ。こういう電話に明け暮れていて多忙だから、何も聞かず大人しく療養してほしい、そんな気迫をいっぱいにして彼は手短に話した。
最初の3日間ほどは高熱と頭痛がつらかったが、やがて症状がなくなると手持ち無沙汰になった。
携帯の画面では、折しも政治家が銃撃されたことで猫も杓子も一様に色めき立っていた。見たくもない凄惨な写真と動画が繰り返し画面上で再生されている。子どもでも簡単にそういう情報にアクセスできることから分かったのは、地味な配慮よりも耳目を集める刺激が優先されるということだった。悲しいかな、世間はそういう騒ぎを求めているかのようにすら見えた。
家に居てそんな話にばかり触れていると、確かなことが何もなくなってくるのを感じた。フワフワする。全部起きていることなのに、まるで実感がなくて覚束ない。仮想的に外の世界とつながればつながるほどに、自分の生活という感じがしない。手元の画面を見ているのに焦点は定まらず、自分の息遣いや脈がどこか遠くで起きているかのようであり、寝ること、食べることが単調な作業になりかかっていた。
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僕は携帯電話から意図的に離れることにした。物理的にもなるべく遠くに置いて、各種の通知も少なめに。
それで、畑に行くことにした。療養期間中だけど、どうせ山あいの畑で人と至近距離で話すことなんかないし、そのようがよほど健やかだと考えた。
病気してしばらく行けていなかったから、畑は草に埋もれ、野菜の半分くらいは野生動物の奔放なつまみ食いの対象になっていた。
それでも生活が脅かされる感じがしなかったのは、他者の生産物に依存して暮らしているからであり、いくらか自給するために続けている畑も、レジャーの域を出ていないのを感じた。その中途半端さ加減が情けなかった。
それでも僕はそこに居るかぎり、実体感を限りなく自分の近くに手繰り寄せることができた。噴き出す汗と泥が混じる。草を刈る匂い。そのときの音は台所で菜を切るときと同じ。這いつくばって作業すると、ふと土中から現れる正体不明の虫に得も言われぬ連帯感をおぼえた。急に立ち上がるとめまいがして、同時に微風。汗で張り付く肌着が冷えつつも、再び太陽に熱されるまでに数秒もかからない。僕の息も脈も、そこに確かなものとして、あった。何万回も歌われていそうな「生きてるって感じ」って感じだった。
お金にならない、ただ消耗するだけのその時間が、気持ちよかった。出し切って空になるこの時間がずっと続けばいいのにと心から思った。
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帰って、ハクビシンと猿が情けをかけて手つかずで残したトマトを冷やさずに切って食べた。何を食べても大して美味しくなかった不調は、打ち寄せる波が綺麗にさらったみたいにして突如消え去った。感覚が澄んで霧が晴れ、視野が広がる。そのときに、治ったと直感した。自己判断。3日ほど前。
以後今日まで、畑の世話をしたり、読みたかった本を読んだり、子どもと学校の話をしたりして過ごした。携帯電話には相変わらずなるべく触らないようにして、気持ちよくないと思うことはなるべくやらないようにした。
生活を調節するときが来たと感じた。明後日からまたお店を開くにあたって、これからどうやって生活するのかを考えるのだ。
店が出来て一年と少し。改めて僕は、随分と自分の健康(特に精神の)を顧みない生活をしていたのを思う。たくさん仕入れてたくさん売ることが美徳だと、そんなふうには思っていなかったはずなのに、振り返ってみれば結果的にはそれを目的とする渦の真ん中にずっと居たのだった。
お金稼がなくちゃ、なぜならお金が必要だから。
融資の返済に固定費、学資、年金に健康保険。
??
僕だって人並みに物欲があるし、やりたいことならいくらでもある。ところがここしばらくというもの、心ここに有らず。お金はいくらあっても福を呼び込むとは限らないことは、前職時代に味わったはずだった。
僕はどういうときに、楽しさ、うれしさ、気持ちのゆとりを感じるのだろう。逆にどういうとき、我慢を自分に課していると感じるのだろう。あなたはどうだろうか。充実とは、いったいどういう精神状態を指すのだろうか。現代の多忙はそれを手短に諦めさせる仕組みになってはいないだろうか。
少なくとも確実に言えるのは、より多く稼ぎ出すことを目的にする行動をとった瞬間から、永遠に手の届かない満足を追い、後悔に終始するということだった。自営7年目、やっと気がついたのかよ。もうひとりの自分が鼻で笑う。
自分の身の丈と向き合い、仕事をいま捉え直すときなのだ。
まず僕がやったのは、6年続けた副業を辞めることだった。収入源のひとつでありながら精神を激しく消耗する仕事だったので、思い切って辞めてしまった。その仕事に大いに世話になりながらも、「主」ではなく「副」とついつい呼んでしまう自分のいい加減さも嫌だった。
これで収入源をひとつ断ったが、不安ではなく大きな安心がまずやって来た。それってつまり、その選択がとりあえず正解ということだ。
次に決めたこと。考えだしたらいくつも出てくる。
お茶をたくさん買いすぎないこと。在庫に対する自分の精神のキャパシティを見極めよう。気持ちで抱えきれないほどの物量を預かってはならない。
売上に一喜一憂しないこと。それよりも、誰と会ってどんな話ができたかをこそ、寿ぐ。
勇気をもって、余計なことをせずにいること。
「仕方ない」の萌芽を見逃さないこと。幸せや豊かさを諦めようとする気持ちが芽を出そうとする瞬間を見逃してはならない。幸せと豊かさの形は社会が提示してくるものではなく、内から湧くものを見極めたい。
畑に今までよりも多く通うこと。残渣を畑で活かし、土となし、そのサイクルのたまものである収穫物を口にすること。
音楽を聴き、いい本を読み、子どもの話を聴き、むやみな発信をやめる。
生活を愛でよう。ふわふわした仮想空間よりも、確かな感覚、実感を大切にしよう。
そんなところだと思う。
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このように考えるひとつの種になっているのは、いつか満田さんが僕に言ったことだった。
「僕は、岡村君にうちの茶ぁをたくさん売って欲しいとは思ってへんの。岡村君が扱ってくれてるというだけで、満足してんのよ。」
確かなことを求めよう。
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