2022/08/01

煎茶 君ヶ畑 / 小椋武さん

 



「今年のお茶が仕上がりましたので、また上がって来てください。夏やったら川遊びも出来ますから、子どもさんらもぜひどうぞ」と奥永源寺の君ヶ畑に暮らす小椋武さんから心待ちにしていた一報があったのは6月の下旬のことだった。

小椋さんは、「茶縁むすび」主宰である山形蓮さんのご紹介があって出会うことが叶い、2年前のシーズンから煎茶をお預かりしている代々の茶農家だ。君ヶ畑は東近江市の山間部にある政所茶の生産集落として数えられる七町のひとつで、当店では土地の名に敬意をあらわすために「君ヶ畑」の名をそのまま商品名として使わせていただいている。

※政所茶の七町とは、東近江市奥永源寺地域の政所町、君ケ畑町、蛭谷町、箕川町、蓼畑町、黄和田町、杠葉尾町。

8月1日、やっと今年の訪問を果たすことができた。初めてこの辺りに出入りするようになったころ、家からナビの案内がなければ心許なく運転できなかったのを思い出す。

離合のできない道をどんどんと登っていく。政所町、箕川町、蛭谷町、そして君ヶ畑町に入る。玄関の網戸をがらりと開け挨拶をすると、小椋さんはもう朝からそわそわとして待ってましたという感じに出迎えてくださる。玄関から客間、仏間へと、いつお邪魔しても美しく掃き清められているご自宅は、小椋さん達にとっては当たり前の生活の場でありながらも、客という立場の僕には道場然とした清らかさでいっぱいだ。そしてそれを言葉にはなさらないけれど、今日という日のため、心づくしの準備をしてくださったことが身に沁みて感じられる。

優しさが感じられて嬉しい。なおかつ緩みきってはいない空間に、少し緊張もする。仏間にははっきりとご先祖様たちの優しい気配があって、はるかな昔から営まれてきた生活の、いちばん先っちょのところにお邪魔させていただいているのだ。なんたるご縁。気持ちは引き締まる。

「ま、飲んでみてください!」といって小椋さんは説明は少なめに、古い茶箱から今年の手摘み煎茶を取り出して見せてくださる。そして湯と急須、湯のみを出して、「お茶はソムリエに淹れてもらおう」と、去年と同じことをおっしゃった。ああ、それを言われると緊張する!

飲みながら、今年の新茶が出来上がるまでの話を伺う。雪のこと。肥料のこと。茶摘みのこと。政所町にある製茶工場のこと。仕上げ委託をしている日野の満田さんのこと。

僕は今年の製造量のうち、半分をお預かりすることに決めた。萎凋と呼ばれる製茶工程を取り入れて熱心に取り組む小椋さんのお茶は、昔の煎茶がどのようなものであったかを今に伝えるおいしさだ。

「お茶の畑も、見ていってください」と、いつものように一緒に歩いてご自宅から100mほど離れたその一角へと向かう。



この畑は、所有者の方が体力の問題から管理できなくなり長年放任されてきたところ、小椋さんが依頼され耕作することになったものだ。当初はお茶も草も伸び放題であったため、まず台刈りといって地表面近くの高さで茶を刈り込むところから作業ははじまった。

年月はかかったものの、毎年収穫が可能になるところまで畑は再生した。農薬と化学肥料は使用しておらず、茶畑に投入するのは油かすとすすきだけ。すすきは防寒、草抑え、保湿だけでなく、そのまま土に還り養分となる優れもの。

「だいぶん、いい状態にまで回復させられたと思います。持ち主の方には息子さんがあって、いつか帰郷して自分でお茶をされるようになるかもわかりません。そのとき、茶畑が荒れていたらとてもじゃないけどやる気にならんでしょ。だから、荒れていた畑をきれいに戻して、きれいに使わせてもらい、そしてきれいに返すんです」

小椋さんの話にはいつも、終わらせないこと、継いでいくこと、についての思いが込められている。そういうところをこのお茶を手渡すときにうまく伝えられないかなって、いつも腐心している。

茶畑に入ったとき、思わず合掌。何に対してかはっきりわからないけれど、偉大なることへの敬服のようなものだ。横を見ると、小椋さんもまた手を合わせておられる。見えているものだけじゃなく、見えない存在の大きさと尊さを、小椋さんはその立ち振る舞いを通じて教えてくれているようだ。

ご自宅に帰るとおいしいカレーがこしらえてあった。ここでカレーをよばれるのは3回目で、毎回楽しみにしている。「お客さんがあったらカレーって決めてんの!」と奥さん。快活で楽しい人だから、子どもたちもはじめてお会いしたときからよく懐く。「親戚じゃなくても、もうここは君らにとって田舎やねえ。よかったねえ」と僕は子どもたちに言った。そんなことを彼らは全然聞いてなくて、目一杯はしゃいで遊ぶ。

小椋家に来たときの、この緩急が好きだ。

今日はこのあと立ち寄るところも多いことから、昼過ぎにお暇することになった。その前に小椋さん、「みんなで記念写真を撮りましょう」といって、奥からシャツを持ってきて仏間にみんなをあげてくださった。

小椋さんは写真を撮られることがそんなに好きな人じゃないのに、そのように言ってくれるのがとても嬉しい。ご夫婦とうちの家族4人、そしてお仏壇と神棚もしっかり写った。生きて写っている人間は6人で笑顔爆発みたいな写真じゃないのに、なんとなくわいわいとした賑やかさを感じるのはきっと、ご先祖さまたちもこの一日に興味津々ゆえご参集くださった…のならいいけどなあと、勝手な想像をする。

いつものように、車が見えなくなるまで威風堂々と真っ直ぐ立って見送ってくださる小椋さんを、バックミラーのなかに見続けた。預かったお茶は両手で抱えきれるくらいの量だけど、それ以上の見えない何かを気持ちに満載して、山を下る。

それでも僕は、見えるし、しかも食べられる4度目のカレーを、今から楽しみにしている。


❍ 商品情報

萎凋煎茶 君ヶ畑

滋賀県東近江市君ヶ畑町 小椋武 作

無農薬 無化学肥料 在来種 手摘み

¥ 1,400 / 40g (2022年9月現在)


❍ 煎茶 君ヶ畑の茶畑と製茶について

川下、さらには琵琶湖から海へと至る環境を汚すことがあってはならないとの願いから、政所茶の生産者たちは一切の農薬と化学肥料を使用していない。油かすや山野の落ち葉にすすきといった、有機物だけを茶畑に入れてきた。

大多数のお茶は、種から育った在来種の老木だ。一般的な日本茶は、品種改良したお茶を挿し木などの方法により殖やして栽培するが、品種が一般的でなかったころは種から育てたお茶が当たり前だった。一つ一つの種があわらす遺伝形質が違うため、在来種の茶畑はどこか自由奔放な見た目をしている。味や香りの特徴も少しずつ異なるため、仕上がるお茶はいわば天然のブレンドとなり、あっさりとした飲み口。強い個性はなくても、だからこそ毎日飲んでも飽きない日常茶として生活に寄り添う。

小椋さんのお茶は、地域のおばあちゃん方が、長年の経験による正確で素早い手摘みをおこない、これを短時間日光にあて、また屋内で風通しよく一晩を過ごさせ、製茶工場へと持ち込む。摘んでから工場へ持ち込むまでの間に意図的に茶葉が萎れるが、これは「萎凋(いちょう)」と呼ばれる製茶工程のひとつで、茶葉が水分を失うのに沿って茶葉中の酸化酵素がはたらき、爽やかで清い香りが生まれる。この操作は現在では顧みられることが少なく、効率的に製茶ができる現代的な製茶機械が登場する前、時間のかかる昔のお茶づくりのなかでは生きていた手法だ。



自宅の板間でお茶を萎凋させる様子。ムラの起きないように時々撹拌する必要があるので、このときは夜もゆっくり寝ていられない。やがて状態が良くなってくると、他の部屋にいてもすぐにわかるくらいに、家中に豊かな香りが満ちるという。

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