Instagram ストーリーズでの質問
「玉露というお茶についてどんな印象がありますか?」
回答集と考察
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標記の質問をインスタグラムでフォロワーの皆さまに伺ったところ、 24時間のうちに16ものご回答をいただくことが出来ました。リアクション、どれも嬉しかったです!興味深く拝読しましたよ。どうも有難うございました。
せっかくの情報源。アカウント名は伏せて、そのまま掲載することをお許しください。そのうえで、玉露をどのように紹介し、扱っていくのかを考えてみたいと思います。
あまり知らないけど、ちょっと興味あるな!と思っていただけたら幸いです。お近くのお茶屋さん、あるいは(ぜひ)当店にて杠葉尾の玉露をお試しいただきたい。(まだ販売はしておりません。少しお時間をください)
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回答
① 甘い
② お高いお茶
③ お高い!
④ お値段が高い
⑤ 淹れる作法が難しそう
⑥ 高級。低温で淹れる。
⑦ 値段が高い、カフェイン多い?特別な日用のお茶というイメージ
⑧ ぽたぽたとじっくり抽出して甘みの変化を楽しむお茶…という印象です
⑨ ぬるいお茶 ⑩ 少量で酔うお酒のようなお茶。脳天にくる感じ。気付け薬のような
⑪ 甘い
⑫ 私は普通の煎茶が好きです。妙なアミノ酸の味のする玉露しか知らないせいかもしれないです。
⑬ 甘い、お茶というよりスープ
⑭ 高級。甘いお茶。淹れるのに温度気にしなきゃいけないお茶。
⑮ 格式高い!?こだわりが強い方が飲んでいる印象があります!
⑯ 甘いけど少しにがい
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考察
「甘い」「高価格/高級」「淹れ方に工夫が必要」というご意見が中心でした。あとは⑩や⑫のようにご個人の感じ方を表現して下さった方も。
ポイント① 「普通のお茶」とは違う
特別なお茶と感じている方が多いようです。確かに玉露は日本茶のなかでも群を抜き高価格のお茶です。参考に、お茶屋さんのオンラインショップなどを覗いてみてください。
市販品には「玉露ブレンド」などと謳うものが時々見られますね。これは玉露が高級品であるというイメージを利用しているのでしょう。しかし、「なぜ普通のお茶ではない高級品なのか」を説明できる人は多くないかもしれません。日本茶の消費が落ち込んでいる現状のなか、高いというイメージだけが取り残されている可能性があります。
他のお茶と何がどのように違うのかを客観的に説明すること。販売者の大切な仕事のひとつと感じます。
ポイント② 「甘い」とは何か
玉露に砂糖は入っていません。特徴的なあの味わいは、各種のアミノ酸が他の緑茶より相当に多く含まれていることによる「旨味」です。
それにも関わらず「甘い」と表現する方が多いのは興味深いです。玉露の旨味は昆布出汁に似ているともいいますが、昆布出汁や、加工食品に使われる旨味調味料のことを「甘い」と表現するのは、一般的ではない思います。
お茶の旨味を「甘い」と表現するのは、お茶に限った独特の味覚表現なのかもしれません。
ポイント③ 高いと知っているが好きとは思っていない
面白かったのは、「高い」「甘い」とは書けども「好き、おいしい」という表現はひとつも見られなかったことです。このことから、「玉露が高いということは知っているが、好きではない/飲んだことがない」方が多いかもしれません。
そうだとすると、やはり玉露が高いという一点だけが独り歩きし、お客さんたちの嗜好と噛み合っていない場合が多いという可能性も。あるいは、玉露というお茶は好きか嫌いかという判断のなかに置くものではないのかもしれません。
いつどのようなときに自分に馴染む可能性があるのか、個々人によって違うと思うのです。
昔から玉露は栽培されていて、それを好んで嗜んできた方々がたくさんいるということは重要な点です。ある種の人にだけ分かる「通なお茶」なのではなく、然るべきシチュエーションが存在する適所の狭いお茶、と考えたほうが健康的な思索に思われます。
そもそもお茶は難しいと感じる方が多い現状。当店にお茶を買いに来てくださる方の多くも同様です。尚更、玉露に対して取っ掛かりのない人がほとんどだというのは頷けることです。
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まずは「高価格=良いもの」という図式を無くすことから始めるのがよさそうです。小さい軽自動車を求める人に、高い車だからという理由でアメリカの「ハマー」を差し上げても、たぶん喜ばれないのと同じで、玉露が喜ばれる場面というものを改めて考えなければならないのでしょう。
とくに現代、油を多様する食生活です。コッテリした食事のあとに玉露が果たして馴染むでしょうか。あの強い旨味と独特の香りを好意的に受け止められる状況とはいったいどういうものでしょうか。
合わせて考えたいのは、昔の玉露と今の玉露は栽培面からして似て非なるものである可能性があること。品種のこと。肥料のこと。「旨味」という大きな特徴が過剰に増幅された栽培になってしまっているのではないかと私は少し感じています。⑫のコメントはそれを現すものではないでしょうか。
玉露というお茶は味わいが独特であり、淹れるにも手間と時間がかかります。つまり飲む方は自分に焦点をあてるのではなく、玉露に自らを同調させようとする柔らかい姿勢をとることができるかどうかを問われているように思われます。
玉露はあくまでも玉露の都合のとおりにしてやらねばならない。そういう「面倒な」お茶であるということ。このことは、2022年を生きる人間にとっては示唆に富んでいるように思えてなりません。
相手を聴くこと。たとえ共感できない場合であっても、理解はできること。そうして世界の境界線を押し広げたり、目の前の小さな物事を見るときの解像度を上げたりできるのかもしれません。
それを教えてくれる精神性のあるお茶が玉露なのだとすると…なんだかおもしろくありませんか?
長くなりましたが、販売者として私の仕事は、
・高級品であることはいったん脇に置くこと
・そもそも日本茶の全体像のなかでどのような位置にあるのか説明すること
・玉露が活躍する場面を一緒に探すこと
・身体に負担をかけない玉露を探すこと(福井さんの「杠葉尾」はそういうお茶です)
これらを通じて、最終的には栽培されている現場へ気持ちを馳せてもらえたらいいなと、今は考えています。