この記事は、先入観を疑う / 玉露仕入れの前日譚 の続きです
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2022年10月2日、長引く残暑。鈴鹿山脈のふもとに位置する奥永源寺を再び訪ねた。もうこの地域に来るのはいったい何度目なのか分からない。政所町の山形さん、箕川町の川嶋さん、君ヶ畑町の小椋さん…段々とご縁の広がるなか、更にお茶の縁が豊かにふくらむ機会を得た。
向かったのは、室町時代より続く「政所茶」(まんどころちゃ)ブランドを生産する7集落のひとつ、杠葉尾(ゆずりお)だ。そこで百姓として生活をする福井家の皆さんを訪った。
この日までに奥様の玲子さんやお母様のたか子さんと電話でお話していたから、始めてという気がしない。それでも爽やかで青々しい気分に満ちていたのは、この杠葉尾という地域が、政所や箕川、そして君ヶ畑という比較的狭い谷間にある地域とは違って、愛知川沿いに広く開き日光もさんさんと注ぐ場所だったからかもしれない。
到着すると、玲子さんが出迎えてくださった。まもなく刈り取られる餅米の揺れる田んぼを通り過ぎ、ご自宅のログハウスへ。家具を含め、地元の材木を地元の大工さんたちが使って20年余り前に建てたものだという。隣では茅葺きの家が丁寧な修繕を経て健在であり、琵琶湖のヨシを使った屋根とのこと。
こうしたことから、福井家の人々がどのような価値観のもと生活を営んでいるのかが、言葉にせずともじんわりと伝わってくる。
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肇さんが農作業からお戻りになった。ご挨拶した瞬間、まっすぐ飛び込んできた澄み渡る眼差し。目の光の明るさ。なんという嘘のない目だ!頭の中に「ラブストーリーは突然に」のイントロが鳴り響く(エコーつき)。
肇さんは過去と一直線上に繋がっている今を生きていて、未来のやってくることを明るく受け止めようとしている人だ。過去に対する重責感や義務感も、現状への不満も、未来への不安もない。やりたいことはたくさんある。この土地での生を楽しく謳歌している朗らかな少年のようなお人柄なのだった。
「だって、それが一番ええやろ?」とは仰らないけれど、それがお話の端々から伝わる。「少子高齢化のなかでも伝統を絶やさないように…」とか、そういうやや重た目の表現が聞こえてこないのは爽やかだ。それでいて肇さんが自然体のままに行っているのは、この地域で長い間営まれてきた生活と農業に工夫しながら従うこと、そのものだった。
初対面の方には、たいてい何気なく「何代目にあたられるのですか」等という基礎情報(?)のようなものを得ようと質問をしてしまうことが多い。でも肇さんはそれに対して、「わからないな。あんまり考えたこともないなあ」と答えた。
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福井家では、煎茶と玉露、それに平番茶をつくっている。茶畑は点在しており、この日はそのほとんどをご案内下さった。
ご夫妻は家の農作業を手伝いながら、ともに学校教員として務めてこられた。定年退職のあと本格的に農業に従事するようになり、現在は餅米、コシヒカリ、お茶だけではなく、タラを栽培したりとまさしくお百姓さんである。
「このあたりでは米がとれるので、その分早くからお茶の離農が始まりました」と肇さん。そのなかでも福井家は踏ん張ってお茶を辞めることなく、それどころか今では茶畑を借り受けてかわりに耕作し、活躍の幅を広げておられる。実は箕川町にお住まいの川嶋いささんが遠戚にあたるということもあって、いささんが今年でお辞めになった黄和田町の茶畑管理を行うことにもなっているのだ。黄和田は杠葉尾と隣り合っている。
ここが玉露用の茶葉を栽培している畑のひとつで、今回当店ではここで手摘みされたお茶をお預かりすることになった。一切の農薬を使っておらず、畑に投入するのは、落ち葉、ススキ、発酵油かす、そして炒った米ぬか。お茶は在来種。
鉄柱が立っていること、そしてススキが地面に敷き詰められていることにお気づきいただけると思う。それぞれ具体的にご説明します。
鉄柱が茶畑に立っているのは、茶の収穫時期の少し前から畑全体を菰(こも)で覆って遮光するためだ。遮光することが玉露の栽培には必要不可欠なのはご存知である方も多いかもしれない。
お茶は前のシーズンから溜め込んだ養分をいっせいに使ってその年最初の芽を開き更に枝葉を伸ばしていく。遮光することで旨味成分のテアニンが他の物質へと代謝される反応が鈍り、特徴的な旨味が茶葉に残る。また茶葉は薄く葉緑素が多くなり、葉の柔らかさと濃い緑色のもとにもなっている。
現在一般的には遮光するための資材として化学繊維が使われるけれども、政所茶において現在も玉露を栽培する少ない農家のなかでは菰が主流だ。自作の餅米を収穫したあと、その藁を地道に編んで菰ができる。上の写真は菰を保管している倉庫の様子だ。
菰を編むのは長老たちだ。岡田トシ子さんが中心となり、たか子さんも加わって根気のいる作業にあたっておられる。岡田さんはかつて西陣織に従事していたことがあるというが、持ち前の器用さと根気でもってしても、僅かづつしか作ることはできないという。菰は一年に一度、20日余りしか使うことがないために7年ほどは使える、と肇さん。
市販製品に頼らないという点はもちろんのこと、家に田んぼがあり、藁を編める人がおり、それを茶の栽培で無駄なく活用するということ。今ふうに言えば SDGsという言葉があてはまるのかもしれないけれど、このあたりの人々は、当たり前のようにして環境とともに歩んできたことが伺い知れる。人間は環境の外側に居てそれを利用するのではなく、自身も環境の一部なのだ。
土地にあるものを活用するのは菰だけではない。すすきや山の落ち葉を畑に敷くのもポイントだ。
肇さんは地域内に5箇所ほどの茅場(かやば)を管理しており、ここでススキを刈り取って畑に敷く。これが天然のマルチとなって、草を抑えて冬季の寒さや乾きからお茶を守り、最後にはそのまま朽ちて土に還るというから非の打ち所がない。奥永源寺では他の生産者も同様にススキを使っている。
こうしたひとつひとつのことが、大変な手間であるように思われるかもしれない。確かにそうかもしれないけれど、肇さんはあっけらかんとして、こう言う。「普通にやってるだけですよ。これしか知らんし、特別なことをしているとは思わない。大変とか面倒とか、そういう風にも思わないです。好きなんです」
他のいろいろな茶農家たちのスタイルを見たあとで政所茶の茶栽培を目の当たりにすると、たいていの人は「こんなに手間のかかることを、よくぞ」と思うに違いない。僕はお茶屋だから、その大変さ、手の掛け方を神格化して語りたくもなるというものだが、実際に現地で作業にあたっている人の言葉は淡々として、なおかつ明るい。
そこに販売者としてハッとする瞬間がある。つまり他のお茶との序列で語るべきではないのだ。政所茶を「上げる」ことは、安易に「他を下げる」ことに繋がりかねないし、それは望まない。なぜならどこの茶農家も、自然環境、働き方、生活、すべてがその人独特のものであり、当方はそれらをほとんど享受しているに過ぎない。販売者は、特定の生産者に無闇に肩入れすることがあってはならないのだ。(問屋さんが存在する大きな理由のひとつだと思う)
見たものをそのままに見せ、聞いたことをそのままに語るのは意外とむつかしい。見たいものだけ見て、聞きたいことだけ聞くのはありがちな話だ。人様の物語を飾りにして商売をしてはならない。
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軽トラックで移動する間も、あたりで作業に従事している人々に細やかに肇さんは声をかけてまわる。手早く、かつ温かい会話が生まれていて、信頼関係があることが本当によくわかる。さわやかな風が吹くようだ。これも商品としてのお茶の、見えない構成要素。
お昼をいただくことになった。食後もしばらく談笑したあと、肇さんは次の約束があるために席を立ち、さっと出かけていった。今まで奥永源寺で出会ったベテランたちは、別れ際になんとなく後ろ髪を引かれる感情を残したけれど、この日は違った。
まだまだ初対面。爽やかな肇さんと次にお会いするときにはどんなお話ができるだろうか。重苦しい印象だった玉露に対する印象をがらりと変えてくれたのは、やっぱり人なのだった。
あの目に宿った光を僕はまた少し分けてもらいたくて、杠葉尾へ行くだろう。訪ねたい家がまた増えて、嬉しい。
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玉露「杠葉尾」近日販売開始
滋賀県東近江市杠葉尾町
福井たか子さん 肇さん 玲子さん、そして地域の皆さんの共作
無農薬 有機栽培 / 餅米藁の菰掛け栽培 / 手摘み / 在来種
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