自宅にいると休みの日は出来るだけ寝ていたい。なのにきっちり6時に目が覚める。ぼんやりスマートフォンを眺め、やがて起き上がって朝ごはんを用意した。
近くのパン屋さんで買ったカンパーニュの余りと、久樹さんのお母さんからもらったポテトサラダ、それに平和堂で買ったトマトとヨーグルトをボソボソと食べた。
作業着も地下足袋も身につけず、普通の格好で出かけることにした。でも本当は地下足袋の履き心地が気に入っていたし、硬いところは苦手でもファッションとして有能だと思い始めている。
さて今日の行き先は、東近江市のNPO法人「愛のまちエコ倶楽部」だ。先日から菜種油の販売でお世話になっていて、もう今年の菜種収穫が終わっているということで遊びに行くことにした。
到着すると、5人くらいのスタッフの皆さんに囲まれた。みなさんスーパーカブに興味津々だ。流石は働く二輪車…田舎での注目度が異様に高い。元エンジニアだというおじさんからは専門的な質問まで飛び出して、僕が頭にハテナを浮かべるので「ごめんなさい」と謝らせてしまった。
山のように積み上がった袋には菜種が入っていて、今年は20tの収穫があったそうだ。これを搾り取ったのが菜種油「菜ばかり」で、残りを発酵処理したものが発酵油粕「菜ばかす」だ。
油粕は同じ東近江にある政所で良質な有機肥料として使用されているが、まだ需要を満たすほどの製造量がない。お茶も買ってほしいけれど、もしあなたが政所茶のファンだとしたら、ぜひこの菜種油にも関心を寄せてほしい。たくさんの菜種油が製造されたなら、比例して油粕を供給することが出来る。
スタッフの財満さんから、「今日はカレーをつくって皆で食べるのですが一緒にどうですか」と誘っていただけたので、「食べます!!」と喜んで参加。
図々しいくらいがちょうどいい。食べる?と聞かれたら食べる。残りものがあれば「食べていいですか?うまいうまい」と言って食べる。民泊ではおかわりを要求する。もちろん、それ以上は失礼だという線は見極めるようにしているけれど。
初めてお会いする職員・農家の方々とお会いした。田舎の人たちはみんな気持ちがいい。田舎の人間関係は独特の泥臭さを感じる面も多々あるけれど、それは互いに強く関心を持っていることの裏うつしでもある。
先日、地元の新築マンションで、「引っ越してきたけれど隣近所のお付き合いはまったく無い」と少し寂しそうにされている女性に出会ったことを思い出した。都市では互いに無関心でも生きていけるように生活が設計されていることが多いけれど、果たしてその仕組みは長く続くのだろうか。
さてお土産に満田さんの新茶を持参したので、食後に淹れることになった。けれど10人分も淹れなければならなかったので慣れない加減に失敗した。僕はお茶を淹れるのが上手じゃない。満田さんは「岡村さん上手に淹れはりますわ」と言ってくれるが、やっぱり下手だと思う。それでも応えてくれるお茶ばかり手元にあるから何とか形になっているけれど。
僕は、ここぞとばかりに目の前の人々に対して「東近江に政所があるように、日野には満田あり」と週末らしからぬアクセル加減で力説した。簡潔に、そして力強く。
ひとつ自負させてほしい。もしお茶のワールドカップというものがあって、「満田茶プレゼンテーション部門」があったとしたら、僕は永代に渡り破られない得点をあげ、金メダルを勝ち取る自信がある。なぜかといえば、僕は彼のお茶だけではなく、人を見ているからだ。そしてこのたびの1ヶ月の研修を経て「鬼に金棒」となる目標を掲げている。(この記事をいつか見返して赤面するかもしれない)
ただ、売ることにかけては下手くそだ。これこそ弁慶の泣き所というものだし、その才能が自分にはあるとは思えない。でもそれでいいと今のところは思っているが、こんなことを書いていると、妻から憤怒の便りを頂戴することになるかもしれない。
…
日野への帰路で、「滋賀県平和祈念館」を訪ねた。太平洋戦争に滋賀県民がどのように巻き込まれたかを、県民からの無数の資料提供をうけて展示している。
祖母の郷里である日野も被害を免れてはいなかった。
曽祖父(祖母の父)は日野から大阪の京橋に出てパン屋を営んでいたが、やがて徴兵され日野で訓練を受け、満洲に出征した。祖母はその間、大阪から疎開していたそうだ。終戦して曽祖父は満州から生きて戻った。南進するソ連軍から逃げたという話を聞いたことがある。
…館内に、ある陸軍兵士が満洲から家族に宛てた手紙があった。その兵士自身と彼の子どもたちは、僕、娘、息子とほとんど同い年だった。子どもたちを気遣いつつも、検閲郵便であるからか引き締まった文体のその手紙を、泣かないで読むことが出来なかった。
僕もいま家族と離れているが、それは僕の意思であって、いつ何時、何があってもおかしくないとは思っていない。僕はお茶を学んで家に帰り、もとのように愛する家族と合流するのだ。当たり前のことが、当たり前なのを、有り難く思う。
帰路、自分の子どもたちに、戦争についてどのように教えようかと頭を悩ませた。
…
さて日野に戻って訪ねたのは「近江日野商人館」だ。「日野大当番仲間」と呼ばれる異業種の商人組合を組織した人々の商いの歴史を辿ることができる。
ここに僕は満田製茶の商売の原泉を感じられるかどうか確かめてみようと思っていた。するとどうだろう。細かくは描かないが、久樹さんのやり方とまさしく同じだと思える訓示を多数見かけることができた。満田家には日野商人の気概があるのだ。そのことを彼が意識しているかどうかは分からない。
ところで僕が気に入ったのは、これらの訓示だ。
「確かなるよろしき代物を仕入れ、売りさばき申すべきこと」
「小さきお得意衆、かえって大切にいたすべきこと」
「伊達がましき商い、一切無用のこと」
…
それから僕は自家焙煎コーヒーの喫茶店「らっこや」さんでコーヒーをいただいた。
実はコーヒーが苦手なのだけれども、不思議とむかつきが起こらずおいしく飲めてとても嬉しかった。ガトーショコラはお利口さんな佇まいで舌にべとべとつかず、あくまでもコーヒーをおいしく飲ませようという気概があった。
同店で、廣川みのりさんと仰る日野在住陶器作家さんの箸置きを買った。
子どものときからお気に入りの映画「魔女の宅急便」でキキが修行をする街並みに似ている形だったし、日野と自分の関わり合いに新しいレイヤーを見つけたかった。
箸置きを日野に持ってきていなかったから、嬉しい。それひとつで食事がよくなるのだから不思議だ。
最後に、久樹さんに教えてもらった食品店「八百助」さんを訪ねた。前日には地元の酒屋さんも訪ねた。
それぞれとても小さな商店だったが、置いてある品物には光るものを感じる。要するに小さいのに魅力的だった。いや、小さいからこそだ。
…
これらはざっくり言って観光かもしれないが、「行って、お金を落として、消費する」だけの物見遊山はしたくない。
どうせなら、ちょっと図々しいくらいの関わり方をしたい。いけそうだと思ったら、ちょっとフランクな口のききかたをする。聞かれもしないのに自分と日野の関わりについて店の人に話をしてみる。相手にとって居心地の悪い距離感にならないよう気をつけながら、「なんだこの人?」と最初は思われるくらいのぶつかり方をわざとしてみると、案外すんなりと溶け込んで話が出来ることは多い。
ローカルの商業や文化を、単に金銭と引き換えに消費することで、いっときの気の慰みにすることをしたくはない。だから、わざと図々しく片足を突っ込んで話をしてみる。
日野での時間はまだまだある。図々しい滞在を続けてみたい。
要するに日野の人と仲良くなりたい。
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