2022/05/18

言葉にならないことのために

 


熊本に滞在するのも9日目、なかでも馬見原の岩永さんの世話になるのは7日目。明日は午前の飛行機だから、帰るばかりとなった。

今日は一番茶のお茶摘みが終わった樹を剪定して、そのあとは乗用型の摘採機を使ったお茶摘み。もちろん僕は操縦なんて出来ないから、サポートに入る。ごっそりと茶葉を共同工場に運びこんでからは、4日前に荒茶となった釜炒り茶の再製加工を見届けた。

今回は共同製茶工場での製茶から仕上げまでを確認するなかで、この共同工場で作られるお茶の特徴をいっそう確かに理解することができたのも大きな収穫だ。

再製加工を進めるなかで、等級別に茶葉を選別する工程がある。この一部が、2年前から「川鶴」としてお預かりしているお茶だ。在来種だけで仕上げるようリクエストしていて、最終的な色彩選別をする前だけれども、夕食どきに皆で試飲してみると「おいしいね〜!」と歓声があがる。岩永さんのお母さんも満足げ。僕も嬉しくて5煎目まで飲んだ。



とても幸せな瞬間だった。なにしろ今回、岩永さんとお茶摘みからずっとご一緒できた。霜にあたらなかったのは何年ぶりか…と岩永さんもしみじみ感じ入り、良質の芽が摘めたのだ。共同工場での加工も首尾よく進んだ。しばらくすれば風味に落ち着きが出て、さらに美味しく楽しめるお茶になるだろう。(出来立てホヤホヤより、少し落ち着かせたほうが美味しい)

仕上がるまでの様々な(本当に様々な!)苦労があるのを見届けたいま、今年からはいっそう「川鶴」のことが可愛くなりそう。さらに昨日摘んだ在来種の紅茶も美味しく仕上がっており、お疲れの岩永さんもこれにはニッコリ。岩永さんの紅茶は引き合いも増えてきているようで、本当によいことだ。



途中、今日も共同工場では「倉津和」の小﨑さんが製茶を進めていた。出荷用の煎茶づくりだ。合間に奥様が小﨑さんの茶畑のなかでも最も大きなところへ案内してくださる。そこは人里から少し離れた丘の上で、雄大な宮崎県の山脈を臨む場所にある。何の物音もしないその場所は、小﨑さんにとっては自分だけの世界に浸れる特別な場所だ。

今回の旅では息子さんとその奥様にお会いすることも叶い、若い世代とのお付き合いが出来ていくのはとても嬉しい。

トップの写真は、今朝いきなりカメラを向けて「はい、笑ってー!」と言ったときの小﨑さん。大阪での教員生活を経て帰郷、百姓をして生きてこられた。共同製茶工場で、なんとなく小﨑さんだけ他の人と違う雰囲気があって、僕はその感じが好きだ。真面目で、あまり口には出さないけれど、きっと心のなかでは人一倍いろいろなことを考えるタイプの人なのだ。

再開を約束して、しばらくのお別れをした。店ではまだ昨年の釜炒り茶が若干あるが、それがなくなり次第、今年の「倉津和」をご紹介できるようにしたい。「サンプル送ります!」と小﨑さんも言ってくださった。



行ってみる? 行く。

食べてみる? 食べる。

見てみる? 見る。

やってみる? やる。

今回の旅では、無遠慮になることを心がけた。遠慮しても何にもいいことはない。だから足かせになろうとも、そのことはひとまず気にせずに機会をとらえて色々とチャレンジしてみた。(失敗して機械を一部故障させ真っ青にもなったけれど…)

折角の機会に、挑戦しなければ足かせにさえなれない。身の程を知った上で、大して役に立てないという自覚のなか、それでもやってみるしかないのだ。僕は農家ではないから、その苦労全てを身をもって我が事のように体感することは出来ないけれど、その間をちょっとでもいいから埋めたい。

それは販売戦略などではなくて、僕がそうしたいから、そうするだけのことだ。「農家から直仕入れ」と店の看板にも書いてあるけれど、それはプロモーションのためではなく、それ以外のやり方を考えられないからだ。ブレンドも自家焙煎ももはや興味はなく、預かった品物の純度を損なわず、ちょっとだけ僕の言葉をのせてあなたに手渡したい。

そして、そのように行動するとき、農家の皆さんとちょっとだけ気持ちを重ね合わせることができるのが、僕はとても嬉しい。こうして誰かと喜びを共有して生きていくことができれば、きっと自分の一生は幸せだと振り返ることが出来るって、そう思える。

「夫は、岡村さんが釜炒り茶に関心をもって来てくれたことに、とても心を打たれた様子でした」と、茶畑案内の帰りに奥さんがぽつりと言ってくださった。

あるいは岩永さんは、夕食を食べて宿の近くまで送ってくれたとき、手を前で組んでぺこりとなさった。その視線、岩永さんの背負っているものの大きさと相まって、撃ち抜かれる。

岩永さんのお母さんは、「もう、あなたは孫のようなものね」と言ってくれる。

そういうときの、なんとも言えない気持ち。ああ、本当に来てよかったな、でもこの気持ち、どうやって伝えたらいいのだろうと思う。

言葉にならないもののために、来ている。言葉にならないこの何かは、僕が手渡すお茶には、きちんとのっかっているのだろうか。よくわからないけれど、これからも僕は一所懸命にしゃべりつつ、伝えきれないもどかしさを抱いて仕事をするだろう。

//

最後に、今回の旅でお世話になった皆様をご紹介します。

馬見原の岩永智子さんとお母様の周子さん。旅のコーディネイトに道先案内、そして茶仕事の先生として多くを教えていただきました。そして水俣の松本和也さん。芦北の梶原敏弘さん、康弘さん、優美子さん。菅尾の小﨑孝一さんとご家族の皆さん。日之影の甲斐鉄矢さんと奥さん。延岡の亀長浩蔵さんとご家族の皆さん。五ヶ瀬の坂本健吾さん。そして菅尾共同製茶工場で働くおっちゃん達。みんな僕にとって釜炒り茶の先生です。

そして、智子さんのお父様である博さん。すでに鬼籍に入られていますが、智子さんと作業をする日々のなかで博さんの存在を感じないときはありませんでした。会っていないのに、知っている感じ。

飛行機のテイクオフが明日の朝に迫ります。寂しいです。

0 件のコメント:

コメントを投稿